由良君美『椿説泰西浪漫派文学談義』

晴。
由良君美『椿説泰西浪漫派文学談義』読了。学識が違いすぎて、自分には正確に判断できない。すごそうなのはわかるのだが。でも、レヴィ=ストロースの評価はまったく納得できないし(というか、「構造主義」というレッテルに惑わされたのか、それともレヴィ=ストロースが流行なのに反発したせいなのか、まともに読めていない。ルサンチマンすら感じる)、ロマン派の音楽についても、どれだけわかっておられるのか判然としない。固有名詞が、山口昌男風にどんどん繋がっていくのは壮観だが、かかるパラノイアックな文体は苦手だ。とりあえず、もうちょっとこちらが勉強しよう。無知すぎますので。
 ただ、自分のような者がいうのは何だが、著者のいう「幻想」というのは、まだまだ底が浅く感じられてしまう。ベーメもスウェデンボリもブレイクも、所詮西欧の「幻想」にすぎない。著者はどうして、さらに奥深い、カバライスラームスーフィーや、仏教の精神世界を参照しないのか。仏教などは「唯一神」を置かないだけ、キリスト教神秘主義よりも遥かに雑居物のない、「科学的な」認識論を展開していることは、明らかではないか。って、ホント自分のような者がいうのではなくて、どうして識者たちはそういうことを言ってくれないのだろう。だいたい、著者の「幻想」は、どれだけ著者自身の自己体験を反映しているのか。LSDを馬鹿にしてアヘンを持ち上げておられるのはいいが、自分で体験なされたことなのですか? まあ「薬」なんてどうでもいいが、著者の「幻想」が、きちんと自身の想像力で裏打ちされたものなのかが気になる。自分は、澁澤龍彦の「幻想」には、きちんとした裏付けを感じるのであるが。

椿説泰西浪曼派文学談義 (平凡社ライブラリー)

椿説泰西浪曼派文学談義 (平凡社ライブラリー)

※付記 さらに云っておくと、著者は、褒めるときは対象を極端なまでに持ち上げるが、そうでない者はダメ扱いする傾向にある。中間が少ないという印象なのだが、はたして人間というものは、天才でなければ馬鹿しかいないのだろうか。もちろん著者の自己評価は、天才というものなのであろう。そういうところも気にかかる。

ああ、いかん、またネガティヴなことを書いてしまった…