本田靖春『評伝 今西錦司』

晴。猛暑。
本田靖春『評伝 今西錦司』読了。今西錦司というと、自分のイメージとしては、棲み分け理論、サル学、独自の進化論・社会論の提唱者といった、自然科学者という像だったのだが、本書を読むと、今西は終生登山家であり、探検家だったことがわかる。大変なリーダーシップの人であったが、それは極度の自己中心家であったということでもある。多くの優秀な人材をまわりに集めたが、自分の目的に叶わない人間は、容赦なく冷酷に切って捨てる人物でもあった。魅了されずにはおれない、巨大で矛盾の人。
 しかし、有名な「今西進化論」は、その一般的な人気にもかかわらず、学問的に問い直されることは今ではほとんどないし、これからもあるまい。それが学問の体裁をなしていないからでもあろう。今西からは離れるが、個人的には、進化論というのはますますわからなくなってしまった感じだ。それは、ひとつは進化論が数学化されねばならぬためであり、また、自分には、「種」というのがますますわからなくなってきているからである。厳密な「種」の定義など、はたして存在するのであろうか?
 まあ、それはいい。自分は評伝というものをあまり読まないので、本書の正確な評価はできないのだが、著名なノン・フィクション作家が、最後に立派な仕事をされたとは思っている。自然科学への切り込みも、充分に成功していると感じた。日本にも、かつては今西のような規格外の学者がいたというのを知るためだけでも、本書を読む価値があると思う。

評伝 今西錦司 (岩波現代文庫)

評伝 今西錦司 (岩波現代文庫)


ポリーニの演奏で、シューマン幻想曲ハ長調op.17を聴く。どれくらい繰り返しこのディスクを聴いてきたかわからないくらいだが、感銘を新たにした。ポリーニの完璧さというのは、単に楽譜をそのまま演奏したというようなものではない。楽譜の徹底的な読みにより、感情レヴェルまで完璧に演奏されている。おそらくポリーニの中では、感情を込めると同時に、それをコントロールする冷静さとが、ぎりぎりのところでバランスしているのだろう。この曲はシューマンの中でも五本の指に入る傑作であるが、なかなかの難曲だと思う。おそらくリヒテルの演奏がその深さで最高峰だろうが、このポリーニ盤も、ロマンティシズムと明晰さが一体となった、名演であろう。じつに楽々と弾かれているのは、やはり驚きだ。しかし、難易度は大したことはないが深い終楽章をこのポリーニ盤で聴くと、徹底した転調の中身がみごとに透けて見えるような演奏になっている。そして充分に深い。それにしても、ベートーヴェンが死んでわずか十一年で、ここまで音楽が変ってしまうとは。
シューマン:ピアノソナタ第1番/幻想曲ハ長調

シューマン:ピアノソナタ第1番/幻想曲ハ長調