晴。暑い。
プールの後、久しぶりにBOOK OFF。文庫版『1Q84』全巻、楊逸、柴田元幸のエッセイ集、西村賢太など。あんまり買うと親がうるさい。
大内秀明『ウィリアム・モリスのマルクス主義』読了。「アーツ&クラフツ運動」で知られるモリスだが、『資本論』を熟読し、独特の社会主義をバックボーンにして運動を進めていったという話である。資本主義によって、労働は苦痛と化しているから、仕事を喜びにせねばならない。機械の廃絶、手作業の重視。そして芸術を生活に取り入れる。そんな主張である。Art is man's expression of his joy in labour. 芸術は、労働における人間の喜びの表現である。これがモリスのモットーだった。著書『ユートピアだより』は日本でもよく知られているが、マルクス研究の結実である、『社会主義』なる著書もある。マルクスの娘とも親交があったらしい。
モリスの社会主義は共同体的なものであり、上からの急激な革命を指向しない。あくまでも、個人的・主体的なものであり、下からの意識改革によるものである。ところで、資本主義は欲望や嫉妬心によって駆動され、またそれらをかきたてる(ラカンの云うとおり、欲望とは他人の欲望である)ことによって回転する。意識改革によって資本主義から社会主義に移行しようとすれば、何らかの形で、人の欲望や嫉妬心を抑えねばならない*1。このようなことは不可能であるとは云わないし、そうなれば一番であるが、はなはだむずかしいことでもある。おそらく、かかる意識の高い、意志の強固な特定の層には可能かもしれないが、大衆がそうなることは、いったん資本主義に浸かってしまえば、きわめてむずかしいことだろう。そして、仮にそれが達成されたとしても、出来上がるものは、一種の宗教的共同体のようなものになるであろう。果してそれがよいのか、どうか、ということもある。エンゲルスはモリスの社会主義を、センチメンタルな空想的社会主義と呼んだらしいが、確かに当たっているところはあるのだ。
最後に、また揚げ足取りをひとつ。著者は、モリスの『News from Nowhere』が『ユートピアだより』と訳されたことを、nowhere に「理想郷」の意味がないということで、かなり咎められておられる。しかし、utopia というのは、ギリシア語で「どこでもないところ(=nowhere)」というのをラテン語風に綴った言葉であるから、これはむしろ「名訳」というべきではないのか。些細なことですが。
それから、最後の宮沢賢治礼賛は、別に悪いとは云わないけれど、いかにもという感じで、ちょっと紋切型なのではないでしょうか。こういう言説は掃いて捨てるほどある。いい加減、宮沢賢治にすべてを託すのはやめた方がいいと思う。思考の停止を感じます。
ウィリアム・モリスのマルクス主義 アーツ&クラフツ運動の源流 (平凡社新書)
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バックハウスのベートーヴェン、何でこんなに凄いのだろう。"Les Adieux"(第二十六番)とか、曲も深いが、聴かなかったら損失ものだし。パストラル・ソナタ(第十五番)の終楽章も、こんな鳥肌が立つような演奏、聴いたことがない。ようやくベートーヴェンがわかってきたという感じで、今まで何を聴いてきたのだろうと思うが、気づいただけマシか。それにしても、もちろん前からバックハウスの芸術は認めてきたが、やはりベートーヴェンは特別だな。ブラームスの協奏曲(第二番)はどうだろうね。
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東浩紀さんのツイートから。
東浩紀さんはデモで世の中かわらないと言っているのに、一方でデモに行くこともあり得るというのは、矛盾ではないか(デモ参加者を冷笑すらしている(参照)のに)。それに、知識人である東さんは自分の声を挙げられる場所があるけれど、民衆はそのような場をもっていない。だからこそ、デモは貴重な機会だと思うし、それはやはりひとつの政治参加だと思う。それに、デモで世の中がかわらないなら、それはやはりこの国のあり方がどこか間違っているのではないか。特に、こういうデモを黙殺同然のマスコミ。デモで世の中はかわらないと冷笑する知識人。