T・S・エリオット『文化の定義のための覚書』

日曜日。晴。
音楽を聴く。■バッハ:管弦楽組曲第三番(カラヤン1964)。今は普通古楽器で聴くべき曲であろうが、こともあろうにカラヤンで聴いてみた。極上のビロードの手触りのような、というか、プロフェッショナルの最高のクオリティである。「カラヤン1960s」のBOXセットで聴いているのだが、リマスタリングが素晴らしく、最新録音のような瑞々しさで聴ける。いわば現役の指揮者たちと同列に比較できるわけだが、このクオリティの高さは今では到底不可能なレヴェルだろう。ただ、カラヤンにとっても、この時代がピークではなかったかとも思われる。このフレッシュさは、後年の演奏にはないもので、ここからさらに音楽が深くなれば、と思わせるけれど、カラヤンはそちらの方へ行かなかった。芸術のむずかしさが、ここにもある。■シューマンピアノ五重奏曲op.44(ツァハリアス、ケルビーニSQ)。これはいい演奏だ。「シューマンピアノ五重奏曲ってどんな曲?」と聴かれたら、この演奏を薦めたいくらいである。曲の魅力を充分に引き出している。しかし、室内楽の名演というのは、どこに潜んでいるかわからないな。で、このEMIのシューマン室内楽曲集(asin:B003CSS1GC)は、これまで聴いた分では相当いい演奏が詰まっている。さすが、老舗のレーベルの選集だ。

カルコス。今朝アマゾンで注文した本が置いてあった。折角だから、地元の本屋で買えばよかったな。
T・S・エリオット『文化の定義のための覚書』読了。

文化の定義のための覚書 (中公クラシックス)

文化の定義のための覚書 (中公クラシックス)


内田樹のブログに拠ると(参照)、自民党の石破幹事長が、デモを「テロ行為」と本質的に同じだと主張したらしい。実際に石破のブログを見てみると、確かに以下の如く書いてある(参照)。

今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。
 主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。

デモが「テロ行為」だとは。これには驚かされる。これが一国の与党の重要人物の発言だとは、日本はまったく終っている。
 しかし、過去において、日本のマスコミに、政府が狼狽するような情報漏洩が発表されたことはないのに、なぜ今になってこんな法案が問題になるのか。これは恐らく、最近のアメリカでの情報漏洩の他に、ネットの発展に対応したものだという気がする。日本では、マスコミはほぼ政府の統制下にあると思ってよいだろうが、今はネット経由で、マスコミを通さずに情報の発信ができるようになった。そのためではないか。
 また、石破幹事長がこんなことを云うのは、デモが意外に効いているからなのかも知れない。