こともなし

日曜日。晴。
昨晩遅くまで『趣味で量子力学』を読んでいて、この本の親切さ、わかりやすさにほとほと感心する。「EMANの物理学」や T_NAKAさんのブログを見ていると、自分なりに是非理系記事を書きたいのだが、なかなか上手いスタイルができない。まだまだだなと思う。何とか挑戦してみたい。
 それはそうと、このブログにはそれほど理系記事はないのだが、それでも検索によるアクセスは理系記事の割合が相当に多い。ネットに理系記事が少ないせいかなと思う。
音楽を聴く。■モーツァルト交響曲第三十九番 K.543(アーノンクール)。何というきたない音! フレージングも変で、拷問的なモーツァルトと云う他ない。ピクリともこなかった。確かにユニークではあるが、これはモーツァルトではないでしょう。二度と聴く気が起こらない。それにしてもアーノンクールというのは超有名指揮者のひとりであるが、こんな音楽作りをするのか。どうしてこれが受け入れられているのか、ちょっと探求してみないといけないような気もする。ああ、汚物を吸い込んで、気持ちが悪かった。

アマゾンのレヴューは結構皆んな肯定的。ほお、これに感動するとかかあ。皆さん大層先鋭的ですなあ。この音楽に生理的嫌悪感を覚える僕は、よほど度し難く保守的だということであろう。いや、まいりました。

昼前に参議院選挙投票。モスバーガーでドライブスルー。
id:SHADEさんがコメントを書いて下さって、とてもありがたかった。色いろ考えさせられました。まあ僕の口が悪いのは治らないのだけれど、理系(的)な聴き方かあ。これは主にクラシックばかり聴いていることに関係しているかも知れない。例えばベートーヴェンに意味のない音符はひとつもないので、そういうことに無頓着な演奏は、プロのものとしてやはり受け入れられない。ただ、自分もそんなに厳密に聴けるわけでもなし、所詮はふつうのアマチュアのレヴェルだと思っている。それから、自分の聴き方は、一方で殆ど感覚的だとも思う。音楽の快楽を堪能したいという思いがあって、それを可能にするような最低限度の技術はプロの演奏家として要求するところはある。まあ、SHADEさんが「精神的」と仰るのとはちょっとちがうかも知れない。自分のはあくまでも「感覚的」なのでないか。でも、「精神的」なところも当然あるのではとも思う。なかなかむずかしいですね。ちなみにSHADEさんはあらゆるジャンルの音楽を聴いておられて、自分はとても及ばないといつも思っています。
あー、昼寝のし過ぎ。眠かった。

エコノミスト高橋洋一氏が『中国GDPの大嘘』という扇情的なタイトルの本を出したようで、それが中国経済の研究者である梶谷懐氏によって、氏のブログ上で厳しく批判されている(参照)。高橋洋一氏はリフレ政策を唱導する中心的なエコノミストの一人であり、氏の啓蒙書は自分もかつて読んで参考にしてきたところである。しかし、安保法制を肯定する本では議論がかなり強引であるような気がして、もちろん自分はただの素人ではあるけれども、どうもその手法に賛成することができなかった。そもそもこの人は、議論の相手を戯画化し、バカにするような書き方が見られるところがいまひとつ好きになれなかった。で、この本は梶谷氏により

しかしこの本からは、わかりにくい中国の統計を慎重に扱おう、という経済の専門家として良心的な姿勢を感じることはできない。そもそも、同書には、これまで大量に書かれた中国の統計問題に関する専門書や論文にほとんど目を通した形跡がない。つまり、それらの膨大な議論を突き合わせながら、中国のGDPについての批判や代替的な推計のうち、どれがもっともらしいのか理性的に判断する、という作業をほとんど行っていないのだ。その代わりに本書で随所見られるのは、とにかく中国は得体の知れない、日本にとって脅威にしかならない国であり、そこが発表する統計数字などでたらめに決まっている、という先入観に基づいた論断である。

http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20160708/p1

と評されている。僕は高橋洋一氏のこの著作は読んでいないので、もちろん正しい判断などできないのであるが、いかにもありそうなことだとつい思ってしまった。カンでいうなら、どうも梶谷氏の方が正しい気がする。というか、梶谷氏の文章を読む限りでは、氏の言うところにおかしな議論は認められない。とすると、高橋洋一はどうしちゃったのだろうね。まあ、自分にはどうでもいいことではあるが。
 該当書のアマゾンのレヴューを読むと、既にたくさんのレビューが書かれており、それらの殆どは絶賛また絶賛である。その影響力の大きさを感じた。ましてや、日本人が読みたくて仕方のない「中国経済崩壊論」らしいので、火に油を注ぐようなことになっている。しかし、中国が好きであろうが嫌いであろうが、梶谷氏の言うとおり、「中国政府に対峙する上で統計指標の作成能力も含めた政府の能力をあまりに低く見積もる、つまり相手をなめきった態度をとることは、日本の社会にとって何ら有益な結果をもたらさない」というのは我々が肝に銘じるべきことなのではないか。(AM1:12)