パヴェーゼ『流刑』/フランシス・ジャム『三人の乙女たち』

十一時間くらい眠った。雨。
プール。アピタとその本屋。
パヴェーゼ『流刑』読了。河島英昭訳。傑作と言うのが相応しいのかわからないが、いい小説だ。二十世紀イタリアの小説には、こういう地味ながらいいものが沢山ある。著者は己の体験をもとに、流刑になった土地での生活を淡々と描いているが、そこで題材になっているのは、土地の人々との付き合いであり(主人公はそこでは信用されている)、とりわけ(若い主人公には)男女関係だ。だから、ありふれた題材の小説なのだが、無限に繰り返されようが、人が生きるということは、「変われば変わるほど、いよいよ同じ」なのであり、いいものはいい。そして本書ではそこに、主人公がいつかはこの土地を去ってしまうという条件がついている。

「監獄の意味は禁欲にあるとあなたは思っているのですか?」
「そうに決まっているじゃありませんか?」
ガエターノは考えこみながら聞いていた。
「それは間違いですよ」とステーファノは言った、「監獄の本当の意味は一枚の紙きれになることです」

流刑 (岩波文庫)

流刑 (岩波文庫)

フランシス・ジャム『三人の乙女たち』読了。夢見る乙女たち(死語)のために。小説にまったく共感できなかったのは残念。
 なお、本書一六八頁に「マヨナラと青いウツボグサで飾られた夏が来て、過ぎて行った」とある文の「マヨナラ」であるが、これは英語で marjoram, ラテン語で majorana で、「マヨラナ」*1でなければならない。この誤訳はとても多いらしく、何が原因か知らないが、かつては翻訳も含め、ほとんどで間違っていたというのを何かで読んだことがある。なにせ、あの林達夫ですら間違っているのだから(文庫版『歴史の暮方』で確認した)。それが本書でも踏襲されているわけだ。まさしくサー・トマス・ブラウンの「伝染性誤謬 Pseudodoxia Epidemica」である。

三人の乙女たち (岩波文庫)

三人の乙女たち (岩波文庫)

歴史の暮方 (中公文庫)

歴史の暮方 (中公文庫)


フォーレ管弦楽曲を聴く。フォーレは自分にとっては、室内楽とレクイエムで充分満足していたのだが、管弦楽も捨てがたいことがわかった。「ペレアスとメリザンド」からシシリエンヌが有名曲。他に、「マスクとベルガマスク」から「月の光」(歌詞はヴェルレーヌ)や「パヴァーヌ」が気に入った。プラッソン指揮(は初めて聴く)トゥールーズ・カピトール国立管弦楽団も好演。
フォーレ:管弦楽曲集第1集(ペレアスとメリザンド/他全12曲)

フォーレ:管弦楽曲集第1集(ペレアスとメリザンド/他全12曲)

*1:ちなみに「マヨラナ」でぐぐってみると、「マヨラナ粒子」ばかりヒットする…