さて、「ゲームの力が社会を動かす」のか?

本日付の朝日新聞朝刊(名古屋本社版)で、濱野智史が「ゲームの力が社会を動かす」と題し、ジェイン・マクゴニカルの意見を紹介している。それを暴力的に単純化すると、要するに現実は「クソゲー」すぎるから、現実をゲーム化してハマりやすい形に変えればいい。それが社会運動の原動力となる、というのである。まあ、こういう連中に、ゲームは有限であり、現実は無限であると当り前のことを云っても、そんなことは分っているというだろう(本当は分っていないのだが)。だから、それは措こう。ところで、現実のエリートたち(の一部)は、まさにこれをやっているのである。現実を単純化して一種のゲームと見做し、優れた能力でそれをクリアして、満足感と「宝」を得ているのだ。現実が「クソゲー」なのは、劣った者たちにとってだけである。「勇者(優者)たち」には「クソゲー」ではないかも知れないし、たとえそうであっても問題はないのだ。さて、単純化され選択肢の少なくなった「『現実』という名のゲーム」の中で、いったい劣者たちはどうすればよいのか?