フロイト『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの』/吉本隆明『戦争と平和』/日夏耿之介の詩

休日。雪。
寝過ぎ。十二時間くらい寝た。

フロイトドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの』読了。わかりやすい訳文だが、そもそもフロイトが大きく自分を超えているので、フロイトが究極的に何を語りたいのかを推察するのがむずかしい。もちろん、精神の全領域の根底に性の問題があるということは、大前提にした上のことだ。変な話なのだけれども、フロイトは立場としては学者だが、読んでいるとなんとなく、「魔術師」というべきか何かのような印象を受ける。妖しいが、深いところで真理を掴んでいそう、とでも云うか。
 しかし、フロイトを転用して、「超自我」とか「去勢コンプレックス」とか「タナトス」などと口走るのも、ちょっと躊躇われる。あまりにも手垢に塗れた術語だからだ。でも、そのあたりは、割り切らねばならないのかも知れない。

ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの (光文社古典新訳文庫)

ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの (光文社古典新訳文庫)

吉本隆明戦争と平和』読了。吉本さんには、「衆愚」ということはあり得ないのだな。必ず大衆は正しい判断をする、ということだ。
【文庫】 戦争と平和 (文芸社文庫)

【文庫】 戦争と平和 (文芸社文庫)

中央公論社『日本の詩歌 巻12』の日夏耿之介を読む。いま日夏の詩集を入手するのは困難だが、この選集だけは安い。(「ブ」で105円で入手。)けれども、全体からどれくらいの量が収められているのかは、明記がないので、しかとは分らない。まあ、とりあえず満足できるくらいにはあった。それにしても、岩波文庫は日夏の詩集くらい入れてほしい。
 読んでいたらもっと詩が読みたくなってきたので、本書の西脇順三郎も読む。


カルロス・クライバーの指揮で、ベートーヴェン交響曲第七番を聴く(参照)。第二楽章の funeral march は聴かせるが、あとはひどい曲ではないか。終楽章など、冒頭の数小節の反復で、音楽的に何を聴いたらいいのか分らない。高校生の頃は好きな曲だったのだが。クライバーの指揮は小粒だが躍動感があるもので、終楽章のぎりぎりの早いテンポでも統率は失っていない。名演とされるのも分らないではない。
 シューマン交響曲第三番、第一楽章を聴く。なぜか、どうしてか分らないが、時々聴きたくなる。我が偏愛の曲。「ライン」という標題がどうして付いているのか知らないが、ぴったりだという気がする。第一楽章が特に好きだ。つぎは終楽章か。スダーン指揮東京交響楽団参照)はホルンがちょっと苦しいが、まあそれはいいし、マーラー版だというのが稀少価値だ。贅肉のとれた(?)シューマン