こともなし

晴。好天。

朝早くから、老母が iPad を買おうかしらんとか、老父が Windows 7 が使えなくなるのをどうすればよいかとかいうので、対処する。

で、散髪。終って出てくるときに「よいお年を」とか言われて、最近こういうことをいわれたことがなかったのでちょっと新鮮だった(というか一瞬フリーズした笑)。ってどんだけ世間から隔絶しておるのや…。


昼過ぎ、老父の PC の Windows 7Windows 10 にアップグレード完了。まだいまでも無料アップデートは可能であるようだ。
 いろいろ設定するのだが、普段 Windows 10 を使わないのでよくわからんのだよ。ネットで検索しながらやる。


日没前、散歩。航空自衛隊岐阜基地のかなあ。
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眠い。

『柄谷行人 浅田彰 全対話』

晴。
 
tanemaki.iwanami.co.jpセクシャル・ハラスメントというのはむずかしいな。わたしも過去において、いまならセクシャル・ハラスメントとされる行為に及んだことが絶対にないとは言い切れない。実際、性被害に遭ったことのない女性の方が稀であるかも知れないのである。セクシャル・ハラスメントという考え方は正しい、そう思わざるを得ない。だから、わたしもわたしの過去を恥じねばならないのだろう。ごめんなさい。

そういや、今日はクリスマス・イヴか。忘れていた(笑)。

柄谷行人 浅田彰 全対話』読了。本書は柄谷行人と浅田さんが既に終った人だから、歴史として文庫本で出版されたのだろうな。それを強く感じる。そして、柄谷行人や浅田さんをよく読んできた部分のわたしも、既に終っているのを感じる。それにしても、柄谷行人はともかく、浅田さんまで無害な人になってしまったのはちょっと意外だったな。田中康夫氏との「憂国呆談」はいまでも続いているが、その無意味な無害ぶりはほとんど無慙である。残念なことだ。ま、これは上から目線の「批判」などではないのです。なにせわたしはさらに無意味なのだから。

柄谷行人浅田彰全対話 (講談社文芸文庫)

柄谷行人浅田彰全対話 (講談社文芸文庫)

 
アルトーの『演劇とその分身』を読む。少し前の文庫新刊。おもしろい。半分くらい読んだ。

暖かい日

晴。

NML で音楽を聴く。■バッハのブランデンブルク協奏曲第三番 BWV1048 で、指揮はモーゲンス・ヴェルディケ、デンマーク室内管弦楽団NMLMP3 DL)。■モーツァルトクラリネット五重奏曲 K.581 で、クラリネットはドメニコ・カリア、ミラノ弦楽四重奏団NML)。

MOZART, WEBER/ CLARINET QUINTET

MOZART, WEBER/ CLARINET QUINTET

  • アーティスト:Domenico Calia
  • 出版社/メーカー: DA VINCH CLASSICS
  • 発売日: 2019/01/18
  • メディア: CD
ベートーヴェン弦楽四重奏曲第十番 op.74 で、演奏はミロ・クァルテット(NMLCD)。ミロ・クァルテットについて検索してみたら、なんだ既に高く評価されている弦楽四重奏団なのね。結成から二十年以上のキャリアをもっていて、「現代アメリカを代表する弦楽四重奏団」といわれることもあるようだ。日本にもよく来ているようである。相変わらずのわたしの無知だなあ。まあ、そういうこととは別に、彼らのやろうとしていることは個人的に何となくわかるような気がする。■バッハのチェロ・ソナタ第一番 BWV1027 で、チェロはミッシャ・マイスキー、ピアノはマルタ・アルゲリッチNMLCD)。アルゲリッチはもちろんなのだけれど、マイスキーの超一流ぶりがすごい。彼と比べると、さすがのクレーメルも一段も二段も落ちるな。■ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第一番 op.78 で、ヴァイオリンは岡田修一、ピアノはクレマン・ルフェーヴル(NMLCD)。よい演奏。この曲を堪能した。
 
いい天気なので、庭へ出てみた。
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昼からも外へ出てみる。
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医療器具販売店。肉屋。


夕方、一時間あまり散歩する。
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夜、インストールし直した Ubuntu 19.10 に Ruby 2.6.5 を入れる。

岡嶋裕史『ブロックチェーン』

日曜日。冬至。曇。

NML で音楽を聴く。■バッハのフランス組曲第六番 BWV817、ファンタジア ト短調 BWV920、前奏曲ハ短調 BWV921、幻想曲イ短調 BWV922、ソナタ ニ短調 BWV964、ソナタ ト短調 BWV968 で、ピアノはアレクサンドラ・パパステファノウ(NMLCD)。■ブリテンの「オウィディウスによる六つのメタモルフォーゼ」 op.49、「世俗的変奏曲」で、オーボエハインツ・ホリガー、ピアノはアンドラーシュ・シフNML)。

ブリテン:オウィディウスによる6つの変容 モーツァルト:オーボエ四重奏曲

ブリテン:オウィディウスによる6つの変容 モーツァルト:オーボエ四重奏曲

  • アーティスト:ホリガー(ハインツ)
  • 出版社/メーカー: マーキュリー・ミュージックエンタテインメント
  • 発売日: 1994/09/24
  • メディア: CD
ショパンの「序奏と華麗なポロネーズ」 op.3 で、チェロはミッシャ・マイスキー、ピアノはマルタ・アルゲリッチNML)。レヴェルがちがう。超一流はやっぱりすごいな。
Complete Duo Recordings

Complete Duo Recordings

  • アーティスト:Martha Argerich
  • 出版社/メーカー: Deutsche Grammophon
  • 発売日: 2012/03/20
  • メディア: CD
アルゲリッチクレーメルマイスキー - デュオ完全全集」という BOXセットなのだが、えー、いまアマゾンで2711円ですか。ほとんどバラでもっているのになあ。で、NML にも入ると。まあ、NML で聴き直してみますか、超一流だからね。しかし三人のトリオは入っていないのね。マイスキークレーメル嫌いだからかなあ。

プーランクの「夜想曲」、「三つの無窮動」、「村人たち」、間奏曲第二番、「三つの小品」で、ピアノはアレクサンドル・タローNMLCD)。


県図書館。

■ティエリー・ペク(1965-)の「記憶のむこう、変動成分」、「鍵盤のための小さな本」、「ラモーのあとに、ひとつのサラバンド?」、他で、ピアノ他はアレクサンドル・タローNML)。

■ティエリー・ペクの「数え切れない鳥たち」で、ピアノはアレクサンドル・タロー、指揮はアンドレア・キン、アンサンブル・オルケストラル・ド・パリ(NML)。

岡嶋裕史ブロックチェーン』読了。なるほど、ビットコインなどのマイニング(採掘)で、全世界でバカみたいに膨大な計算リソースを消費している理由がわかった。「ナンス」というしくみ、というかナンス自体は、マイナー(採掘者)が取引データなどに適当に付加するデータで、ナンスを含めたデータのハッシュ値を計算し、その先頭の特定バイト数が0になるときマイニングの成功とか、そういうハードルを設定しておくのである。付加するナンスからハッシュ値は予想できないので、ハードルを適切に設定することで、マイニングの難易度を自由に設定することが可能だ。つまり、あたかも宝くじを買い続けるように、ナンスをランダムに変更して特定のハッシュ値を出すという計算を延々とするわけである。このしくみはよく考えられているが、そのために世界中で膨大な(無意味な)計算が行われており、その消費電力はアイルランド一国の電力消費量に匹敵するまでになっている。わたしははっきりいってアホらしいムダだと思うのだが、あなたの会社はそれでもブロックチェーン技術を導入して、ムダな電力の消費に拍車をかけさせますかね。

しかし、マイニングというのはつまるところハッシュ値を計算するだけだというなら、やるだけなら Ruby でも可能なはずだ。まあ、成功する確率は天文学的に低いが。で、検索してみたが、さすがに Ruby でマイニングしている奴はいなさそうだな、当り前か(というか、仮にいても公表するわけないよね、だってそれで他人が宝くじを当てたらショックだもんな)。Ruby で自動取引とかはあるけれど、それはマイニングとは何の関係もない。でも、ブロックチェーンの検証は(原理的には)非常に簡単だから、それこそ誰か Ruby で遊んでいないかしらん。ただ、ビットコインだと、ブロックチェーンのデータ自体が既に何10GB(いまではもっと?)もあるらしいのだよなあ。ダウンロードするだけで大変。

https://bitcoin.peryaudo.org/implement.html
これとかなかなかおもしろそう。

古い LaVie の立ち上がらなくなってしまった Ubuntu 18.04 のファイルシステムを修復。Kubuntu のインストール・ディスクをお試しモードで立ち上げて、fsck で修復してみたら出来たっぽい。
(個人的)LaVie の Ubuntu 18.04 のファイルシステムが死んだので修復 - Marginalia

綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』 / 鈴木大拙『禅の思想』

晴。

NML で音楽を聴く。■バッハのブランデンブルク協奏曲第二番 BWV1047 で、指揮はモーゲンス・ヴェルディケ、デンマーク室内管弦楽団NMLMP3 DL)。■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第九番 op.59-3 で、演奏はミロ・クァルテット(NMLCD)。よいな。いろいろ考えさせられる。■スカルラッティソナタ K.11, K.12, K.13, K.14, K.15, K.16, K.17, K.18, K.19, K.20 で、チェンバロスコット・ロスNML)。


名古屋大学岐阜大学が統合されるのか。それぞれの名前や学部は変わらないらしいが。いろいろ検索してみても特にメリットとかはよくわからない、各大学側の説明も抽象的なものなので、下衆の勘繰りをしてみれば、大学の数を減らそうという文科省の指示に従うことで、優先的に予算を廻してもらおうとでもいうことであろうか。それで岐阜大学ではユニークな試みとされていた「地域科学部」などが廃止されるとの予定で、何かそこいらも怪しげであるが、これについては当事者の激しい反発があって容易ではないとの報道がある。まあ、よくは知らない。

シベリウス組曲イ長調で、演奏はトリオ・ヘーゲルNML)。弦楽三重奏曲。

SIBELIUS & M. REGER COMPLETE STRING TRIOS

SIBELIUS & M. REGER COMPLETE STRING TRIOS

 
珈琲工房ひぐち北一色店。綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』読了。これまでも書いてきたが、非常におもしろく、また勉強になる本だった。本書は結構図式的にざっくり説明している、構造のはっきりした本だと思うが、それでも読解するのはかなりむずかしい本でもある。わたしもきちんと読めているとはいえないし、アマゾンのレヴューも(いつものことながら)すべて上から目線のものしかなく、はっきり言ってどれも読めていないのは明らかだと思う。ただ、そうは言いつつ、本書がある意味読みやすいのは、本書が現在の状況の分析だからで、その題材は新聞にでもネットにでもいくらでも転がっているから、ふむふむなるほど感が強いのだ。
 今日読んだ部分のとりとめもない感想を書いておくと、さて、「差別というものは意図的になされるのでない」(もちろんヘイトの人たちなどはちがうが)というのはちょっと虚を衝かれたのだが、「差別している人は、自分の考えを当り前のことだと思っているので、まさか悪いことをしているとは思わない」というのは、なるほどそうだ。例えば「女は男に劣っている」と公言する人は、それを当り前のことだと思っているからこそ、平然とそういうことを口にするのである。それは「内なる差別」といわれるらしい(これはわたしの無知でした)が、なるほど、それには PC (ポリティカル・コレクトネス)をぶつけるしかない。そして、そのような「内なる差別」というものは、反差別主義者でも避けることができないことが科学的研究からわかっているそうである。これも本書に出てくるが、人間というものは、強い責任を引き受けられるほどよくできた存在ではないのだ。へんな話、本書を「まともに」読解することすら、多くの人間には無理だ、それほどのリテラシーを多くに期待することはできない。とエラソーにいうわたしも、はっきり言って自信はないのである。となると、現実には無理な、啓蒙による強い個体を目指した訓練よりも、いま流行りの「統治功利主義」、それもテクノロジーの制度設計(環境管理型権力)によるそれがどうしてもクローズアップされることになるが、ではその最先端をいっている中国の現状、つまりテクノロジーによる高度な管理社会がよいのか。もうそのあたりになると、わたしには何が何だかわからない。いったい、何が正しいんだと叫びたくなるのだ。
 本書の最終章は、天皇制の考察で、応用編ということになっている。これもなかなかにおもしろく、現上皇夫妻がリベラルを志向してきたのは、「リベラル・デモクラシー」というきわめて相性の悪い「(概念の)結婚」の破綻を防ぐためであるという視点が導入される。それは天皇制の存続に不可避であった。そしてその過程で、美智子皇太后の存在がきわめて大きかった(いや、決定的であった)ことが、現実には軽視されているという指摘がなされている。まあ詳しくは書かないので、実際に本書に付かれたい。
 それにしても、これほど切れ味の鋭い評論(?)に出会ったのはひさしぶりだ。こういうのを見ると、やはり若い世代はすごいとも思ってしまう。わたしにはむずかしかったのも事実だが。たぶん、だいぶ誤読していると思う。
「差別はいけない」とみんないうけれど。

「差別はいけない」とみんないうけれど。

  • 作者:綿野 恵太
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2019/07/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
それにしても、DV とか性犯罪者はビョーキだから、薬で去勢(?!)するという試みが始まっているそうだが、マジですかだよね。しかし、本書の分析から見るとそれはむしろ「正しい」ことになり得る。まったくすごい時代である、いまは。そのうち、わたしのような生産性のない人間は、薬で永遠に眠らせておくべきという未来がきても、別におかしくはないというか。統治功利主義、か。

さて、さみしいおっさんはエロサイトでも見るか。いや、それすら面倒になりつつあるな…。


図書館から借りてきた、鈴木大拙『禅の思想』読了。

鈴木大拙禅選集〈1〉禅の思想

鈴木大拙禅選集〈1〉禅の思想

  • 作者:鈴木 大拙
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2001/02
  • メディア: 単行本

こともなし

曇。

大垣。

昼から、ミスタードーナツ イオンモール各務原ショップ。今日は家族の分のドーナツも買った。綿野恵太氏の続きを読む。第五章まで読んだ。わたしは大変な、不思議な時代を生きているのだなあという感を強くする。記述は本格的に「差別」の問題に入ってきた。差別批判は差異を同質性に解消するということ(例を挙げれば、「女性が男性に劣っている(差異)のではない。女性の能力は男性と同じである(同質性)」などという言説)。差別は「非AはAではない」という、トートロジーの論理を基盤にするということ。なるほどという他ない。これから問題になってくるのは、エビデンスをもった、科学(例えば社会ダーウィニズム)を援用した差別であるということ。これもなるほどである。
 ここでは、第三章の「ハラスメントの論理」を読んで、わたしの脳裏に浮かんだどうでもよい、個人的なことを書いておきたい。いまでは様々な「ハラスメント」があって、「差別」と深く関わっていることが本書では指摘されている。例えば、ヴァーチャル・ユーチューバーの「キズナアイ」ちゃんは性的に過ぎるかということで、ネットで炎上したことがあるが、つまり「キズナアイ」ちゃんの動画はセクシャル・ハラスメントであり、女性への差別であるかという言説。本書はそこからポルノグラフィの規制について論じたり、何かと高尚な話だが、わたしのは下らない話である。どうでもよいことであるが、わたしには、気に入った女性、好きな女性をからかったり、いじめたりしたいという性癖があるらしい。例えば中学生のとき、わたしは同級生のある女の子が気に入っていて、いじめていたものであるが、それから随分年月が経って、わたしの感情はその子にはお見通しだったことがわかったから、少なくとも八〇年代あたりにはそのような恋愛コードは一定の理解があったらしい。そしてその性癖は、脳みそが厨坊レヴェルのわたしには、いまでもあまり変わりなく存在しているようである。もしわたしがある会社で年下の女性を部下にもっていて、彼女のことを気に入っていたら、まあその女性がどういう個性なのかにも拠るが、エッチなことを言って彼女をからかうということ、そういうことをする可能性は高いと思っている。さても、恋愛コードとしてもじつに幼稚な話で、笑われるようなものであるが、彼女がわたしのその言動をどう思うかとは別に、わたしの行為がセクシャル・ハラスメントに相当し、いまでは絶対に許されないことはいうまでもない。まあ、現実にはそのようなことにはならず、わたしはこれからもずっと孤独でありそうだが、それとは別に、そういう社会になってしまったのだなあという感慨は多少ある。いや、じつにどうでもいいことなんですけれども。
 下らないことを書いたが、さてまたまじめな話をすると、現在の「ハラスメント」云々には、ネットの役割も非常に大きいと思う。いわゆる「炎上」である。たぶん綿野氏にはネットの存在は自明すぎるのだろうが、そこいらももう少し知りたいなあと思った。

もはや、我々にあっても「あいまいさ」は許されない。頭を冷やせといっても、怒られるだけであろう。皆んな、クソマジメすぎるのだ。論理というのは、いつもクソマジメである。

そういや、昔わたしの知っていたある優秀な女性が「おっぱいの大きい子はバカに見える」といっていたが、こういうのは何になるのかね。わたしにはよくわからない。彼女のおっぱいがどうだったかは、ここでは書かないことにしよう。

考えてみると、「AはAである」というのと「非AはAではない」というのは論理的には共にトートロジーであり、等価であるが、我々の印象としては同じではないのだな。もっとも、後者は排中律を必要とするが。

源一郎さんの「論語」現代語訳本を少しづつ読んでいる。翻訳に20年もかけたのだって。僕は「論語」はかつて岩波文庫版で読んだが、それもおもしろくて、友達にソクラテスと比較して熱く語ったことがあるらしい。しかし、この源一郎訳は、いままでの翻訳とまるでちがう。源一郎さんは「超訳じゃない、こんな厳密な訳はない」と仰っているけれど、僕は「超訳じゃないの?」と最初は思いました(笑)。けれども、読んでいくうちに源一郎さんの言いたいことがわかってきた。結局、人間は2500年前と、ある意味では全然変っていない、それがはっきりするという意味なのではないかと思う。そういや、小林秀雄に、「論語」を「宇宙第一之書」と呼んだ漢学者の話があったが、あれは誰のことだったっけ?


NML で音楽を聴く。■ブラームスの「四つの小品」 op.119 で、ピアノは関本昌平NMLCD)。■ブラームスクラリネット三重奏曲 op.114 で、クラリネットはニコラ・バルデイルー、チェロはラファエル・ペロー、ピアノはジョフロワ・クトー(NML)。

そういえばアナトリー・ヴェデルニコフは NML にあるかなと検索してみたが、まるでないようだ。こういう人ほど NML に入れて欲しいのだが、レコード会社はもったいないと思うのかな?