山本義隆『近代日本一五〇年』

雨。
寝坊。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ・ソナタ第十六番 K.545 で、ピアノは園田高弘NMLCD)。■ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第三十番 op.109 、ピアノ・ソナタ第三十二番 op.111 で、ピアノは内田光子NML)。

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番-第32番

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番-第32番

 
二時間半くらい昼寝。寝てばかりいる。理由はわかっているのだが。

雨のなか図書館。あんまり借りたい気が起こらず、新刊コーナーから適当に二冊見つくろう。田村隆一の詩が読みたいのだが、田村に限らず現代詩はあまりない。島崎藤村とか室生犀星とかはいくらでもあるのだけれど。

あっという間に夕方。

ブルックナーの第八番を聴こうとしたのだが、アホらしすぎて挫折。ブルックナーとかドヴォルザークとかチャイコフスキーとかはよくわからない。ここいらが自分の限界だろう。


NML で音楽を聴く。■フィリップ・ゴーベールのフルート・ソナタ第一番で、フルートはゲルゲイ・イッツェーシュ、ピアノはアレックス・シラシ(NMLCD)。■ブラームス弦楽四重奏曲第二番 op.51-2 で、演奏はエルサレムQ(NMLCD)。■バルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」で、指揮は小澤征爾サイトウ・キネン・オーケストラNML)。終楽章はこんな音楽だったのか! まさに小澤征爾のみが到達できる領域かも知れない。これまで何を聴いてきたのかという感じ。

バルトーク:管弦楽のための協奏曲/弦、打、チェレスタのための音楽

バルトーク:管弦楽のための協奏曲/弦、打、チェレスタのための音楽

 

図書館から借りてきた、山本義隆『近代日本一五〇年』読了。副題「科学技術総力戦体制の破綻」。正直言ってがっかりさせられる本だった。山本義隆ほど優秀な人でもこうなのか。確かに自分は教条主義的パヨクであり、自分のドグマを補強してくれる鋭い思考も少なからず見られたが、本書の肝心の土台が従来の硬直した左翼と変わらないのだ。これでは、自分が以前に記した自分の矛盾は、到底解消されなかった。例えば著者は第二次世界大戦時に軍に協力した日本人科学者たちを糾弾するが、まあそれはわかるけれども、では科学者が充分に協力できずに戦争に負けたとして、それでよいのか。実際アメリカとのあの無謀な戦争は、「科学的に」すなわち理性的に考えれば、到底勝ち目がないと誰でもわかるようなものであったし、戦争以前にそのことに気づいていた人間などいくらでもいた。つまり、参戦は科学的思考の欠如によってなされたともいえるかも知れない。またまったくちがう観点から見て、優秀な科学者たちの献身的協力によって、仮にあの戦争に勝っていたらどうだったのか。実際、戦争に勝った方のアメリカは、いまでも科学者による軍事研究は当然のことになっている。こんなことを言って、自分は「科学者は軍事研究をすべきだ」と言いたいのではない。以前のエントリに書いたとおり、科学者は軍事研究をすべきでないとすれば、どうしても矛盾を抱えることになるといいたいだけである。まあしかし、そのように考えるのは自分だけなのかもしれない。とにかく本書には失望せざるを得なかった。
 本書への失望はもうひとつある。著者は現代における文系の学問の有効性をまったく理解していない。自分も理系なのでわからないではないが、しかし現代における経済学の複雑な思考を、著者がまったく知らないのは明らかだ。そうでなければ、たとえば経済的成長を否定する日本の左翼の典型的な思考が底の浅いものであることがわかる筈である。まあ、何もかも知ることは無理なのだが、それでもあの優秀な山本義隆ですらと思うと、残念である。しかし、自分はまたいまのリフレ派たちの「正しい」意見だけで、すべてやっていけるともまったく思わない。だってパヨクだからね。自分は国家の必要性を知りつつ、究極的に国家を信用していないからである。まあ、決定的に能力不足ではあるが、ぼちぼちやっていくしかない。

 
自分は、いまパヨクであるということは、どうしても矛盾の中で生きるしかないということを引き受けざるを得ないと思っている。右翼の方がずっとラクだ。まあ、その矛盾に自覚的でいられる限り、却って柔軟でいられるのかも知れないが。しかしこれはむずかしいし、結局は敗北する予感がする。