こともなし

曇。
昨晩は思いたってフーリエ級数による温度分布の図示をプログラミングしていて(参照)就寝が遅くなったので、遅くまで寝ていた。

ひさしぶりにコメダ珈琲店で昼食。トーストサンド+たっぷりブレンドコーヒー。コメダは落ち着くな。
マックスバリュ。酒屋。ドラッグストア。

もう病院通いがなくなったので、気分的にのんびりできる。そのうちプールも行きたいし、県図書館でも借りたいものがあるな。

NML で音楽を聴く。■ハイドンのピアノ・ソナタ ホ短調 Hob.XVI:34、ハ長調 Hob.XVI:35 で、ピアノは園田高弘NML)。日本を代表するピアニストである、園田高弘のアルバムである。園田高弘は自分は初めて。この人もまた、むしろ地味な、クソ真面目なくらい真面目なピアニストのようだ。世界的に見れば、この程度のピアニストはいくらでもいると言えるのかも知れない。しかし、そんなことがなんであろうか。聴き応えのある、すばらしいハイドンである。聴いて疲れるくらい内容がある。このアルバムはハイドンモーツァルトベートーヴェンを集めた三枚組だ。少しづつ聴いていきたい。

ブラームスクラリネット五重奏曲 op.115 で、クラリネットシャロン・カム、エルサレムQ(NML)。この曲は終楽章が変奏曲というめずらしい形式で、こういうのはすぐには同じブラームス交響曲第四番とか、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第三十番くらいしか思い出せない。どれも自分が心より愛する曲なのは偶然なのか。この曲の終楽章の主題は第一楽章の冒頭主題と深い関係があって、実際にこの最初の主題が最後に呼び出されて終わるというのは、何ともいえない余韻を生み出して見事だと思う。 
延々とじつに下らないことをしていた。マジメなことばかりしていると息がつまるにゃ。


ブラームスクラリネット五重奏曲はモーツァルトのそれとまったく同じ編成なので、よくカップリングされて一枚の CD に入っていることが多い。ちょっと思い出したのだが、吉田秀和さんはそれで「かわいそうなブラームス!」と書いておられたのだな。天才たるモーツァルトの傑作に対し、創作力が衰えてきた晩年のブラームスを哀れんでそう仰ったのだろう。まあ、そうなのかもしれない。しかし、以前にもどこかに書いたけれど、自分はこのブラームスの曲がとても好きである。モーツァルトのそれより、ずっと好きだ。さみしくて哀愁に満ちていて、自分のような女々しい感傷家の琴線に触れるのである。木枯らしが吹き抜けていくような感じがする。これに限らず、ブラームス最晩年の曲たちは自分には欠かせない。あのグレン・グールドだって、天才的な「間奏曲集」のアルバムを作ったではないか。最晩年のブラームスにしか書けなかった曲たちはあるのだ。

10 Intermezzi

10 Intermezzi

このグールドのアルバムだが、学生のとき一度だけ会ったことのある人が好きだと言っていたのをいまでも時々思い出す。普段はジャズを聴いている人のようだったので。ああ、そういう人も聴くのだなとそのとき思ったのだ。

NML で音楽を聴く。■シューマンの「詩人の恋」op.48 で、ソプラノはニーナ・ドルリアック、ピアノはスヴャトスラフ・リヒテルNML)。リヒテルの歌曲伴奏はめずらしいなと思って聴いてみた。ところが、いやあ、ソプラノでやるのはいいのだけれど(ふつうはバリトン。これは男性の話なので)、歌詞がこれ、ロシア語訳(でしょう?)されていますよね。いきなり全然わからないので戸惑った。まあ、ドイツ語だったらわかるというわけではないが、さすがにロシア語よりマシだろう。でもまあ、おもしろかった。リヒテルは忠実に伴奏に徹しているが、もともとピアノパートも凝った曲なので、さすがである。原曲どおりで聴きたかったとちょっと残念。(AM00:44)

Schumann/Brahms: Richter

Schumann/Brahms: Richter