池内了『科学者と戦争』

曇。
十一時間くらい寝た。

ごろごろする。

昼から三時間くらい寝た。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第三十二番 K.454 で、ヴァイオリンはアンネ=ゾフィー・ムター、ピアノはランバート・オルキス(NMLCD)。■バッハの「ゴルトベルク変奏曲」BWV988 で、ピアノはシュ・シャオメイ(NML)。やはり名曲だな。当り前か。これは1990年の録音で、シュ・シャオメイは2015年にもこの曲を再録音している。それも NML で聴けるようだ。

GOLDBERG-VARIATIONEN

GOLDBERG-VARIATIONEN

ベートーヴェン弦楽四重奏曲第三番 op.18-3 で、演奏は東京Q(NMLCD)。■シューベルトのピアノ・ソナタ第六番 D566 で、ピアノはワルター・クリーン(NML)。こんな曲があったのか。シューベルトはおもしろいな。リヒテルの録音とかないかな。
Schubert: Piano Sonatas Vol.1

Schubert: Piano Sonatas Vol.1

 
ゆたさんに勧められて NML を使っているけれど、このところ NML を聴いてばかりいるな。とてもよい。でも、たぶん三分の一くらい現実逃避だと思う。何か、何にもしたくないので。

NML で音楽を聴く。■ブラームスの「ドイツ・レクイエム」op.45 で、指揮はカルロ・マリア・ジュリーニウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ウィーン国立歌劇場合唱団(NML)。圧倒的な曲であり、演奏だな。でも、僕はこの曲が好きなのだろうか。そもそもよくわかっているのだろうかという疑いがある。何か、宗教曲にしてはあまりにもマッシヴなのだよね。なお、「ドイツ・レクイエム」というのは、「ドイツ語によるレクイエム」とでもいう意味。ふつういうレクイエムというのはラテン語のテクストなので。もともとはシューマンの死をきっかけに構想されたものであり、ブラームス30代半ば頃に完成した。僕はよく知らないけれど、たぶんブラームスの若い時代の終わりを示すような作品なのではないかなと思う(でもよくは知らない)。交響曲第一番が書かれるのはまだまだ先のことだ。

Brahms:Vol.8 German Requiem

Brahms:Vol.8 German Requiem

 

図書館から借りてきた、池内了『科学者と戦争』読了。全体として底が浅く、徹底して考えぬかれていない。本書の基盤は「戦争こそ人間を破壊する最大の元凶であり、いかに言い訳しようと戦争を許容する教養はありえない」(p.192)というものであろうか。「教養」などという、今は誰ももっていないもの(もちろん私も著者ももっていない)を持ち出しているのは御愛嬌で、その他にも「人格」「人間性」などの言葉が並ぶ。まあ、この素朴さがまた本書の強みでもあろうか。さて、著者は軍事研究を糾弾するけれども、では例えば「軍事研究を怠ったために、他国からの侵略戦争に敗れてもよいのか」とか、「強大な軍事力があるゆえに、他国から侵略されないのである」というような(これまた)素朴な主張を、著者の論理はまったく退けることができない。このような主張は、かならず著者のような主張と平行線になり、お互いにお互いを非難し合うだけである。自分はパヨクだから「軍事研究は悪である」という著者の主張を肯定するが、それはあくまでもイデオロギー的にそうするだけであって、論理的なものではない。
 この問題は本当に厄介なのだ。つまりは、「愛国心」というものをどう捉えるかということである。祖国というものは愛されねばならないのか。そして愛されるがゆえに、他国の支配下にあってはならないものなのか。これがむずかしいのだ。例えばこのブログを読んで下さっている少数のひとたちには、わたくしに愛国心などあるのかと思われるかも知れない。いわゆる非国民的発言ばかりしているから。けれども、そのあたりは自分は完全に矛盾している。サッカーの日本代表が勝ったり、オリンピックで日本人がメダルを取ったりするとうれしいというような素朴な感情はやはり愛国心であろうし、それに日本が絶頂だった80年代の子である自分は、いまの日本のエレクトロニクス産業の凋落ぶりや、日本の学術研究の崩壊ぶりを見ていると、理屈抜きに哀しい。日本人がダメになっていくのを日々実感しているのも、たまらない気がする。そういう自分が、「軍事研究は悪である」と主張するのは、いや実際そう主張するのだが、完全に矛盾なのだ。そもそも国立大学の存在そのものが、国策のため、国益のために存在するのである。自分はそれでも「軍事研究は悪である」と主張するが、それは矛盾そのものである。
 これは本書とは関係のない話なのだが、近年自分はずっと、「人を殺す」ということは何なのか、自問している。人が人を殺すとは何なのか。また、どうして人間は戦争をしたがるのか。これらはこれまで散々多くの人たちに問われ、過去の賢者たちによっても解決できなかった難問である。もちろん答えは出ないのだが、問わずにはいられない問題でもある。しかし、一方では、著者らのように底は浅いが、現実的な運動を起こしていくことの重要さもわかっている。結局、自分は頭でっかちなのだ。そして実際には何もしない。最低の人間である。

科学者と戦争 (岩波新書)

科学者と戦争 (岩波新書)

国家は最悪の存在である。しかし、国家よりマシなものが存在しない。これが自分の矛盾の根源のひとつである。これには次のようなコロラリーがある。すなわち、国家は必要である。けれども、国家は信用できない。

結局、自分が軍事研究を肯定しないのは、何かそこにイヤなものがあるからである。そのような曖昧な基盤しかないが、けれどもやはりそれが基盤なのだ。そういうしかない。