こともなし

晴。

NML で音楽を聴く。■モーツァルトのピアノ・ソナタ第五番 K.283 で、ピアノは園田高弘NMLCD)。西洋的な観点からしたら、これほどつまらない演奏はないかも知れない。ここには個人的なものがまるでない。モーツァルトしかない。これこそ日本人ピアニストの真骨頂だと思う。■モーツァルト交響曲第四十一番 K.551 で、指揮はクラウディオ・アバドNMLCD)。アバドは終楽章、すべての繰り返しを演奏しているな。これは意外とめずらしい気がする。

丸亀製麺イオンタウン各務原にて昼食。牛とろ玉うどん大+イカ天+エビ天。


Ruby は死んだ」って昔から言われ続けていて、最近ではそういわないと「わかってない」と見做されるほどだが、皆んな言いたいのだよねえ。以前から日本人がいちばん「Ruby はダメ」って言っていると思う。で、最近では Rubyist は「Ruby is dead every year」って自嘲するのだけれど、このユーモア感覚が笑える。素人初心者の自分には Ruby はもう充分すばらしい言語で、いまでも Ruby で書くのがいちばん自己満足(!)できるのだが、さらに Ruby がよくなるとか、びっくりしてしまうしうれしい。まつもとさんは流行に一喜一憂しないでさらにいい言語にしていくって言っておられて、それが頼もしく思える。仕事で使うのには静的型付けの言語がよいのだろうけれど、徹底して動的な Ruby のよさもまたあるのだ。それに、言語のよさは型記述だけにあるのでもないし。オブジェクト指向言語として Ruby はいまでももっともよい仕様をもっているように思われるし、いまだに輝かしい「ブロック」の概念、クロージャをサポートした Proc など、これらのどこが魅力的でないというのか。そして、コードの「見た目」への細かい配慮も、自分は Ruby 以上のものを知らない。ふふふ、いまさら褒めすぎですかね。素人初心者ゆえに、恥ずかしげもなくお前らわかってんのといいたいね。以上、バカでした。

でもね、僕は最近は Go も結構好きなのだ。これは設計が古くさい言語、意欲的な仕様のない言語といわれるが、そうかね? とてもバランスのよい言語だと思うのだが。Ruby と Go とか、わかってない奴の典型ですかね(笑)。じつをいうと、Go もコードの「見た目」が好きなのだ。C をすっきりさせた感じがよい。

しかし、何といっても Ruby は極東の言語オタクがひとりで作り上げた、もともとプライベートな言語ですよ。それが世界的な人気言語になるとか、もうこれからはあり得ないのではないか。実際、日本人がプログラミングの世界に他に何を付け加えたというのか。別に自分は国粋主義者ではないけれど、とにかく日本人が「やらかした」のは Ruby しかない。そしてそれが Ruby だということに、何か深いものを感じないではいられない。Ruby を作り上げたのが日本人だというのは、あまり強調すると「日本スゴイ」になるだけだけれど、やはり不思議な感じがする。たぶんそれは、非日本人の方がはっきりと感知できることのような気がする。

許容できる Lisp としての Ruby…。Lisp はストレスなく書くことのできる唯一の言語と言ったひとがいるが、Ruby もそれに加えてよいのかも知れない…。いや、そんな世界は自分にはわかりませんけれどね。

NML で音楽を聴く。■リヒャルト・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」で、指揮はジュゼッペ・シノーポリNML)。

ブルックナー:交響曲第8番

ブルックナー:交響曲第8番

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第三十一番 op.110 で、ピアノは内田光子NML)。(AM01:27)
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番-第32番

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番-第32番