セネカ『人生の短さについて 他2篇』

曇。
よく寝た。

モーツァルトのピアノ協奏曲第二十一番 K.467 で、ピアノはチョ・ソンジンチョ・ソンジンは2015年のショパン・コンクールの優勝者である。演奏はまあふつう。若きピアニストはそこそこの才能があることは明らかだが、ここでは掃いて捨てるほどいる秀才ピアニストのひとりにすぎないことも明らか。彼が大成するかは今後の研鑽に係っているだろう。ただ聴衆の反応はすこぶるよいので、僕がまったく間違っていることも充分ありうる。

リストのピアノ協奏曲第一番で、ピアノはマルタ・アルゲリッチ、指揮はダニエル・バレンボイム。2016 Live. はぁ? アルゲリッチは75歳なのですか? 30代のバリバリの若手の演奏にしか聴こえないのですけれど。そこらにいるおばあさんのようなカジュアルな格好をして演奏しているのだが、飛んでもない演奏になっている。この曲は僕には外面的で、ただの派手な曲だというイメージなのだが、アルゲリッチは深いところではついていけないほど深くて、何とも複雑な曲に聴こえる。全体的に、自分を遥かに超えていますね。バレンボイムはもちろんすばらしいのだが、そこまで超越的ということはない。しかしアルゲリッチ、若い頃から天才の名を欲しいままにしてきたが、僕はいまは若い頃より遥かにすごいピアニストになったと思う。まちがいなく現在最高の音楽家でしょう。

根拠なき籠池証言と「忖度」に色めくメディアは早く消えてほしい
田中秀臣先生も「財務省の判断ミス」であると言っておられる。それが正しい言い方なのだろうか。自分にはさっぱり納得できないが、これが政治というものなのだろうか。自分には政治がわからない、愚民であるとしか言いようがない。悲しいことである。
図書館。雨になる。明日明後日のさくら祭りの準備をしていた。新境川堤はまだ殆ど開花しておらず、早咲きが咲いているのみ。桜のないさくら祭りになりそうである。帰りにだるま堂に寄って、豆大福といちご大福を買う。

セネカ『人生の短さについて 他2篇』読了。中澤務訳。新訳。訳者解説が勉強になった。表題作他、「母ヘルウィアへのなぐさめ」「心の安定について」収録。

人生の短さについて 他2篇 (古典新訳文庫)

人生の短さについて 他2篇 (古典新訳文庫)

訳者は述べている。「…閑暇とは、仕事から追われる日々から開放され、なにもせずに一日中ボーっとしているような、ひまな時間ということになるでしょう。しかし、閑暇をそのようなイメージで捉えると、セネカの議論を誤解することになってしまいます。じっさい、セネカは、そのようなひまな時間に対しては、とても批判的なのです。」なるほど。ちなみに僕は、そうして非難されているぼーっとする時間をできるだけ作りたいと思うのだが、修行が足りなくてなかなかできない。昨日阿房列車をやったときも、乗り換えの待ち合わせで30分くらいぼーっとしているべきだったのだが、つい先に出発する列車に乗り込んでしまった。また、部屋でもなかなかぼーっとしていられず、ついネットを見たり本を読んだり音楽を聴いてしまったりする。空白の時間がなかなか耐え難いのだ。まだまだだと思う。


ショパンポロネーズ第四番 op.40-2 と第五番 op.44 で、第四番はヴァレンティーナ・リシッツァ、第五番はエフゲニー・キーシン。どちらも迫力のある演奏で、特に16歳かそこらのキーシンのパワーがすごいが、これらこそがショパンなら自分はショパンにあまり興味を持つことはできない。

ハイドン弦楽四重奏曲ト長調 op.33-5 で、演奏はフェシュテティーチ四重奏団。ピリオド楽器によるカルテットである。おもしろいね。ハイドンの音楽ってのはシンプルなのに、限界が見えない。