中沢新一『精神の考古学』

日曜日。雨。
未明起床。昨晩は少し早く寝て、三時間くらいでいったん目が覚めた。
 
世界軸 axis mundi をきれいに通していくのは、ほんとにむずかしい。それはいつの時代でも簡単ではないだろうけれど、特に土台がめちゃめちゃに壊れている現代、コンテンツを脳に注入し過ぎな現代では、特に大変なんじゃないかと思う。天国と地獄、天と地を繋いでいくということ。端的に、精神の健康ですよ。
 
スーパー。サラダ油を買おうとしたのだが、キャノーラ油とかコレステロール0とかで、ただのサラダ油がないんですけど。
 
昼。
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ協奏曲第一番 op.15、第二番 op.19 で、ピアノはジョン・リル、指揮はヴァルター・ヴェラー、バーミンガム交響楽団NML)。

ベートーヴェンの十一のバガテル op.119 で、ピアノはジョン・リル(NML)。
 
ウチで作ったフィリングを詰めて老母がアップルパイを焼いた。昨日ミスドでも食ったが、あつあつで、遜色ないおいしさだった。
 
 
中沢新一『精神の考古学』(2024)読了。雑誌連載時から単行本で読めることを心待ちにしていた。中沢さんの本の中でも、とりわけ活字から清浄な空気が吹き寄せてくる本だった。何箇所も、感動で涙を流した。年齢のこともあり(わたしのこれまでの歩みは本当に亀の如き遅さだった)、わたしは一生かけても本書に埋蔵された深い智慧の一万分の一、一億分の一の程度にも到達できまいが、そういうこととは別に、自分が何を目指すべきなのか、少し見えてきたようにも思う。わたしは(ある意味では高望みだが)、難解な、他人に理解しがたい、常人に不可能なことをしようとするのではない。(ただ、それすら、現代ではむずかしいだろうが。)自分の孤立と他人からの無関心を恐れてはならない。むしろそれは利点ですらある。『「精神の考古学」の探求を組織的におこなうために、自分たちはすでに遅きに失してしまったかもしれないというおそれが、たえず私の心を苦しめる。しかし、精神のアフリカ的段階は、現在でもホモサピエンスたちの心の土台をなし、どんなに技術の発展がそこからの離脱を人類に可能にさせていると喧伝されようとも、その土台はいっこうに揺らいでいないのである。…』(p.402)
 

 
庭の蕗で老母が蕗味噌を作った。ほろ苦くて旬の味。

 
夜、早寝。