こともなし

祝日(春分の日)。曇。
目覚めると深いところに知恵の輪のように絡まって解け切れないものがあるのがわかる。これ、日常にも、発想にも、何なら文体にも影響しているのだ。
 
このところ、同じウグイスだろう、下手くそな鳴き声でずっと囀っているのが居る。
 
NML で音楽を聴く。■ベートーヴェンのピアノ協奏曲第二番 op.19 で、ピアノはグレン・グールド、指揮はポール・パレー、デトロイト交響楽団NML)。1960年のライブ録音。音質は最低だがデジタル処理されていて、何とか聴けるレヴェル。ひさしぶりにグールドを聴いたが、天才すぎて呆れるというか。グールドが「演奏会=常人の所業」からリタイアしてしまったのも、常人の所業がグールドにしてみれば制約にすぎなかったゆえであろうと思われてしまう。しかしわたしは、グールド的な突き抜け切った天才よりも、小さい小さい凡人たちの集積の方に、いまは興味があるのかも知れないが。なお、ポール・パレーは常人としていきいきした伴奏を聴かせている。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第三番 op.37 で、ピアノはグレン・グールド、指揮はポール・パレー、デトロイト交響楽団NML)。1962年のライブ録音。こちらも音質は最低。しかし、圧倒的な名演といえるかも知れない。ベートーヴェンもグールドもパレーも巨大すぎて、わたしのごとき凡人にはひたすらしんどかったというのが正直なところだ。この曲は、こんなポテンシャルがあったのだな。
 
■バッハの二声のインヴェンション BWV772-786 で、ピアノは福田ひかり(NML)。この曲のピアノによる演奏としてなかなかよい。中心の位置がいい感じ。なお、福田ひかりに関しては 2022.1.27ゴルトベルク変奏曲の録音を聴いていて、褒めています。 
 
昼飯(パスタだった)のときに WBC の日本対メキシコ戦を8回裏からたまたま観ていたら、不調の村上宗隆の逆転サヨナラ打が飛び出て興奮する。世界レヴェルのクローザーでも、ここぞというところでど真ん中に投げてしまうなんて、あるんだな。いやしかし9回、先頭打者の大谷翔平の初球二塁打が大きかったわ。
 
雨。
精神が自然から切り離されていて、議論がとんでもないところへ至ってしまう論客が多いな。自然や生命(動物とか植物とかへの共感)という「土台」がないから、必然的に少数の前提から、(パスカルのいう)「幾何学の精神」で押し切ろうということになる。議論に「繊細の精神」を混入するのは、まるで弱さ乃至は「合理性の欠如」でもあるかのようだ。それはもともと西洋のお得意だけれど、日本でもますますその傾向に拍車がかかるのが見受けられる。「論破」とかがもてはやされたりするのも、それだよね。まるで土台のぐらぐらする上に、高いモダンな建物を建てようとでもいうかのように。(惻隠の情も含む)豊かな感情も、「基盤」の重要な部分であることが忘れられている。ほんと、むずかしい本ばかり読んでいるやつは、下らないアニメでも観ろよな、っていいたくなる。
 

 
最終兵器彼女』(2002)第4話まで観る。いきなり悲しい…。原作マンガは2000~2001年に「ビッグコミックス・スピリッツ」で連載されていて、途中までリアルタイムで読んだような。自分の内気でちっぽけな彼女が日本の「最終兵器」になってしまうという話で、たぶんいわゆる「セカイ系」(自分の日常的なささいな存在が、国や世界の運命と直結しているフィクション、とでもいうか)のはしりだと思う。ここまで観ただけで、もう救いがなさそうなんですけど…。たまたま U-NEXT で見つけたまでで、どこかでこのアニメが言及されているのを見たことはない。検索して知ったが、なんと実写映画化もされているんだな。
 
夜。
アニメをよく観るようになったせいもあって、東さんの「データベース消費」というのがますますその通りだと今さら感じることが多い。『動物化するポストモダン』(2001)という題名も、じつに含蓄がある(中沢さんは、「動物化」ってのはちょっと。「家畜」でしょうといっていたが、それはさすがに中沢さんだけれども)。あらためて、あの人はすごい才能だな。かの新書本、再読してみようか。 
明日から小旅行に行ってきます。