こともなし

あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします

元日。晴。
皆んなが知っていることをわたしが知らなくて、システム(=世間?社会?何かの共同体?)に入れない、はじき出されている、という夢を見る。皆んなが知っていて、わたしが知らないことって、何だろう、いや、そんなものはいくらでもあるが(そもそもわたしには世間知というものがない)。夢だから主客転倒しているかも知れないが、それだとわかりやすすぎるから、ベタに取っておくのが吉かな。
 ふとんの中でうとうとしていたら、外でぼーぼーぼぼという鳥の鳴き声を、めっちゃひさしぶりに聞いた。子供の頃はよく聞いたのに、最近は聞かないなと思っていたやつ。子供のわたしはなぜかフクロウの鳴き声だと勝手に思い込んでいたのだが、そんなわけはないだろう。たぶんハトだと思うのだが(これも根拠がないけれども)。
 カラスがかあかあ鳴いて、メジロがチクチクいっている。
 
わたしは共同的(集合的)無意識を掘り下げていったら、そこに貴重な宝物(?)があらわれるというように漠然と(根拠なく)思っていたのだが、何となく我々の心の深いところに、資本の運動しかないような気もし出している。それは残念ながら、貧しいとしかいいようがない。だから、我々の心の中だけでも、資本の回転をできるだけ解体せねばならない、のではないか? 心底の宝物は、そのあとの話だという気がする。
 まあ、そんなヨタ話を信じることはないか。
 

 
NML で音楽を聴く。■バッハのフランス風序曲 BWV831、トッカータ ハ短調 BWV911、パルティータ第三番 BWV827、第一番 BWV825 で、ピアノはセッラ・タヴサンリ(NML)。2023年の録音。まだ荒っぽいピアノだが、これから研鑽を積んで、磨けば光るかも知れない原石である。荒っぽいなりに、アルバム一枚を聴かせてしまう個性がある。なお、フランス風序曲の演奏を探して見つけたので、たまたまアルバムの曲の並べられた順番をちょうど逆に聴いてしまったが、これが幸いした。このピアニストはドラマティックな曲が似合うようで、冒頭のパルティータ第一番は、ふつうに悪くないが、彼女の個性はいちばん感じられない。ここは是非、パルティータ第三番から聴いていただきたいと思う。

セッラ・タヴサンリはイスタンブール出身のピアニストだという。なるほどな。
 
 
神棚と仏壇にお参りしてから、御神酒(おみき)を神棚から降ろして、昼食はこの地方のシンプル雑煮(モチ以外、正月菜しか入っていない)。こういう田舎の風習も、もう僕が最後の世代かも知れないな。
 
MyBooks.jp にてブログ本(2023.10.1~2023.12.31)を作り、注文確定する。
 
 
先ほど 16:10 頃、地震の揺れを感じる。体感では震度3 くらいだったが、非常に長いあいだ揺れた。隣の岐阜市防災無線が起動。メディアによると震源は石川県能登地方ということで、最大震度7津波警報が発令され、TV でしきりに避難を呼びかけている。詳しいことはまだ何もわかっていない。(16:23)
 
 
中井久夫さんの『清陰星雨』を再読中。こんなに感情をゆさぶられる散文だったとは。中井さんは博識で理知の強い人だと思っていたが、豊かな感情を抑え気味に、淡々と書いていく人なのだなと、いまさらながらわかった。たいへんな博識も実体験に裏打ちされていて、あるいは「賢者」などと評したくもなる、深い深い智慧に満ちている。それにしても、中井さんの描く、地の塩たる無名だが立派な日本人たちは、いったいどこへいってしまったのか。わたしのまわりに、たまたまそういう人がいない(いなかった)だけだろうか。ネットでも、わずかな例外を除いて、そんな人はめったに見かけないが、まあ、そういう人はネットなどやらないか。わたしはみずからを思って恥ずかしくなる。「一医師の死」というそっけない題の文章には、号泣させられた。かつて読んだときとは、まったくちがう読み方になっている。