村田沙耶香『地球星人』

晴。雲多し。
 
NML で音楽を聴く。■シューベルト弦楽四重奏曲第十四番 D810 で、演奏はサッコーニ四重奏団(NML)。いわゆる「死と乙女」四重奏曲。サッコーニQ について何も知らないが、検索してみるとイギリスの団体で、既に20年以上のキャリアがあるらしい。録音はそれほどあるとはいえない。2022年3月の録音。

ベートーヴェン弦楽四重奏曲第十四番 op.131 で、演奏はサッコーニ四重奏団(NML)。芳醇な名演。このふたつの大曲をまったくダレることなく聴かせる、見事な演奏だ。特にこのベートーヴェンは彼の最高傑作のひとつであり、あだやおろそかに聴ける曲ではない。まったく知らなかった演奏家にこれほどのものを見つけると、何だかうれしい気持ちになるな。サッコーニ四重奏団、録音が少ないのが残念だが、仮にこのアルバムひとつだけだって、それはそれでよいのかも知れない。
 
バルトーク弦楽四重奏曲第五番で、演奏はベルチャ弦楽四重奏団NMLCD)。ベルチャQ のバルトークはなかなかよい。あと、ドビュッシーラヴェルがよく、ベートーヴェンシューベルトはさほどでもないから、アンチ・ベートーヴェン的な作曲家と相性がよい、ということになるのかな。■ブリテン弦楽四重奏曲第一番 op.25 で、演奏はベルチャ弦楽四重奏団NMLCD)。これはすばらしいブリテン! 冒頭を聴いた瞬間、まさにピーター・ピアーズが歌い出しそうだと思った。これまでブリテン弦楽四重奏曲はいまひとつよくわからないと思っていたのだが、よい演奏で聴けばわかるじゃないか。ベルチャQ のブリテン、残りが楽しみだ。
 

 
昼。外気11℃で、12℃を下回ると(自分の感覚では)少し寒い、逆に上回れば暖かい、というところか。
県営プール。プールサイドは寒めなのだが、水はいつもより温かい。最近あんまりちんたら泳いでいるので反省して、多少負荷をかけたら、水の温かさにオーバー気味になった。まあ、おかげで泳いだあとのスポーツドリンクが躰に沁みる。
 
帰りに肉屋。高架道路から見る雲の明暗が美しい。「雲は天才だ」といったのは、どの詩人だっけ。
 
 
【書評】労農派ピケティは「バラモン左翼」を乗りこえられるか──トマ・ピケティ『資本とイデオロギー』評|梶谷懐 | webゲンロン | 考えるを育てる
おもしろい。わたしはピケティの分析(『資本とイデオロギー』は恥ずかしながら読んでいないので、他人のまとめに拠る)は概ね日本にも当て嵌まると思っていたのだが、ここでの梶谷先生の文章はさらにそこに「前近代国家」からの視線を加えている。二枚腰的な書評だ。しかしまあ、我々はとりあえず日本のことを考えるしかないだろうな。って、こんな場所でイキっていても仕方がないのだけれど。
 
庭の花など。冬だからもう花がない。

裏庭のツワブキ(石蕗)。

みかんの木が寿命を迎えようとしている。わたしと同い歳だ。

オトメツバキ。
 
 
図書館から借りてきた、村田沙耶香『地球星人』(2018)読了。セックスを否定し、(物や子供の)「生産」を憎悪する。我々が大人になって働き、また結婚してセックスし、子供を作る、それは象徴的に「工場」と呼ばれ、我々は「洗脳」されて、そうするのだ、と。それはただ「地球星人」の生き方にすぎず、ぼくたち洗脳されていない「ポハピピンポボピア星人」は、そんなことに縛られない。主人公は性を完全に否定するわけではない。実際、子供のときの彼女は、大人から性暴力をふるわれる前に、好きな男の子とセックスをしようとする。また、大人になってからも性欲はある。なのに、子供を作ることは「洗脳」の産物なのだ。また、ラストの三人によるお互いの「食人」(カンニバリズム)は、唐突でよくわからない。たんに、ショッキングなことを語ろうという小説家的欲望に負けたような気もする。
 ポハピピンポボピア星人は洗脳されていないというのに、どこか窮屈そうだ。あまり楽しそうでもない。でもその孤独ぶりは、わたしのそれに似ているのだろうか? わたしたちは、そこそこテキトーに生きればいいのだ。ポハピピンポボピア星人よ、地球星人となかよくしようぜ、お互いにな。
 言語を身につけるということ自体、それはすべて「洗脳」といえばそうだ。その意味で、世の中に「洗脳」されていないことはないし、「洗脳」されていない人間もいない。ポハピピンポボピア星人だってね。もちろん、洗脳を解体する(山は川であり、川は山である)ことは重要だが、結局山はまた山であり、川はまた川なのである。凡庸に生きる、ということ。(ここのところは、なかなかむずかしいけれどね。)
 
 
夜、早寝。風呂を出てすぐ寝る。