ナンシー・フレイザー『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』

晴。
 
午前中、一時間ほど畑で草取り、というか、わたしの役目は電動草刈機でやっつける仕事。我ながらテキトーで大雑把だが、はっきりいってやらないよりだいぶマシだと思う。暑くて、汗ダラダラ。ひゃー、つかれたー(なさけなし笑)。
 叢(くさむら)を刈っていると、中から土ガエルやバッタのような虫がぴょんぴょん飛び出してくる。ごめんねー。草を切った青くさい匂いがあたりに立ち罩める。
 
昼。
カルコス。ネットで見かけた、ちくま新書新刊のナンシー・フレイザー『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』を購入。今朝の新聞の読書欄によると、結構売れているみたい。文庫新刊では、岩波文庫の『パスカル 小品と手紙』、講談社学術文庫山口昌男『アフリカ史』を購入した。これだけ買っただけで5000円近く、いま、本は決して安くないな。
 
 
ナンシー・フレイザー『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』読了。まあまあおもしろかったが、全然ダメといえばそうだな。著者は、資本主義を経済学に還元してはならないという。それはそんなにめずらしい発想ではないが、なかなか説得力があった。しかし、資本の運動とネーション=ステートの存在を切り離して考えてはいけないと、もう少し抽象的に考えた、例えば柄谷行人を超えているわけではない。もちろん、フレイザー柄谷行人より劣るとかいいたいわけではなく、例えば「搾取と収奪」という言葉を新たなパースペクティブで語ったところなどは、なかなかおもしろかった。また、子供を作り、育てていくというような人間の活動に「社会的再生産」という硬い言葉を当て、資本主義がそれを「商品化」(という言葉を著者は嫌い、批判するが、わたしはこの語を使う)することによって支配していく様子を描き出した*1のも、なるほどと思った。著者はフェミニストでもあると思われるが、ある種のフェミニズムがその意味で資本主義を擁護することを、批判すらしているのもおもしろい。
 しかし、気候変動問題に対しては、それほど新しい視点を提供できているわけではない。そして結局、資本主義を廃棄して、「社会主義」しかないという結論には、本書はこれまでの議論とはちがうといい条、これも新しい視点はなさそうである。具体的にどういう「社会主義」なのかが明確ではないし、これまでの社会主義の「失敗」を、乗り越えられる可能性も感じない。そう、わたしだって、資本主義ではもうやっていけないと思っている、そういったっていいが、それでも資本主義よりもよいシステムが、わからないのである。
 個人的に思ったこと。わたしは「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」ということにも関心はあるけれど、どうも、「資本主義はどうして我々(あるいは私)の精神(あるいは心)を貧しくするのか」という、至極個人的な問題に強く関心があるのだなと、つくづく思った。他人もそういうことに興味があるのか、わたしに確信はまったくないし、そもそもわたしの問いに意味があるのかも、よくわからないのであるが。

 

 
夜。雷鳴、雨。
雨でも虫は鳴く。
 
ニセコイ: OVA』(2015)を観る。落ち込んでいたが、思わず笑う。 
花咲くいろは』(2011)第3話まで観る。傑作の予感。いわゆる「お仕事アニメ」だけれど、おもしろい! 実写ドラマみたいな感じで、アニメが苦手な人でも観られそう。

*1:本書では「社会的再生産」が資本主義の外部にあるとも、内部にあるともいってはっきりしておらず、その双方を批判することで矛盾しているように、わたしには見える。