コルナイ・ヤーノシュ『資本主義の本質について』

日曜日。晴。
 
NML で音楽を聴く。■ラフマニノフ交響曲第二番 op.27 で、指揮はシャルル・デュトワフィラデルフィア管弦楽団NML)。

ラフマニノフ:交響曲第2番

ラフマニノフ:交響曲第2番

Amazon
 
昼寝。
 
コルナイ・ヤーノシュ『資本主義の本質について』読了。めちゃめちゃ大雑把にいうと、資本主義と社会主義を比較して、前者を選ぶべきという本。それには異論がないが、現在の資本主義に大きな問題があるのも確か、だとわたしはぼんやり思っている。ま、ド素人の感想ですね、本書の論点からずれているし。
 資本主義において、資本の回転は決して止めることができない。ゆえに、「進歩」も「成長」も止めることができない。それで、全人類は行き着くところまでいってしまうことだろう、どこに「行き着く」のか、誰にもわからないが。ひとつの解の予測として、物質的な豊かさの中で「家畜化」する、というものがあろう。それもまた、受け入れるしかない未来(あるいは現在)なのかも知れない。「生きる」とは、何か? 人間の尊厳、とは?ひたすらお金を稼ぎ、妄想によって欲望を喚起し、消費する。その無限サイクル。
 
 
夜。
PSYCHO-PASS サイコパス』(2012)第3話まで観る。傑作と名高い近未来SF。人間のメンタルが数値化され、リスクを低下させるため、犯罪係数が高い人間は前もって「治療」されるか、でなければ「排除」される、AIに管理される世界を描く。「SFは現実化する」とよくいわれるが、いまの世界を見ているとそういう社会が構築されても別に不思議ではないのを感じる。といっても、作品の舞台はメガシティであり、わたしの住んでいる田舎を思うと、そもそも田舎にそこまでコストをかけて割に合うのかという気もするが。管理社会は、都会のシステムによって、田舎をどう管理するようになるのか。たぶん、現在の中国のように、スマートフォンが管理の要になるように思える。
 OP、ED も雰囲気が出ている。凛として時雨の OP曲、EGOIST の ED曲がカッコいい。
 ちなみに、現実では、本作の犯罪係数よりも、セルフメンタルケア能力、コミュニケーション能力が問題になるのではないか。実際、コミュニケーション能力の低い人が「治療」「ケア」「一般社会からの隔離」などの「特別な対応」を推奨される社会は、既に到来している。