こともなし

晴。

NML で音楽を聴く。■バッハのフランス組曲第一番 BWV812 で、ピアノは岡田美和(NMLCD)。いまのわたしは本がなくとも音楽がなくとも空疎に生きていけると思っているが、しばらくぶりに音楽を聴いた。バッハは限りなく広く深いのであって、わたしはここにいつも数学的な構造と深いエモーションの結合を聴く、などともいえるかも知れない。数学的な構造とはもちろん比喩だが、バッハの超越性への感性は彼の信仰したキリスト教ゆえであって、キリスト教は不自然な宗教であると思うわたしでも、これは東洋人にはかつて作り出せなかった音楽だなと思わざるを得ない。というか、わたしがいちばんポジティブにキリスト教を受け入れられるのはバッハを聴いているときといってもよいのであり、同じようなことを浅田さんが仰っていてさすがだなと思った。ただ、そのような超越性をもちながら、それが深いエモーション(教授すなわち坂本龍一さんはさらに特定してメランコリーだと仰っていた)と何の違和感もなく結合しているところが、ほとんどバッハしかあり得ない、空前絶後の世界だといえるのかも知れない。とか、フランス組曲くらいで大げさですが、このようなささやかな曲にすらバッハの以上の特性がくっきりと刻印されているのは紛れもないことである。■ブラームスの六つのピアノ曲 op.118 で、ピアノはエレーヌ・グリモーNML)。朝から感動してしまった。グリモーは男性的ともいいたくなる線の太さと、女性的ともいいたくなる繊細さの両面をもつピアニストであるが、この曲集に、というかブラームスにぴったりだと思う。ここには特に稀な繊細さが聴ける。それにしても、ブラームス晩年の諦念に満ちたこの曲集を、若い女の子が弾いて、こんな見事な演奏になっているのだから、おもしろいものだ。ブラームス晩年のピアノ小品集は、特別なピアニストにのみ許されているのであるが。ちょっと、グリモーの弾くピアノ協奏曲第一番も聴いてみたいな。

 
昼食はモスバーガーのドライブスルーで。コロナ禍のせいか、ドライブスルーがえらく混雑しているな。

自動車学校で老母の高齢者講習があったのだが、それによると、(信号機のない)横断歩道で歩行者が待っているのを無視して通り過ぎたら、2点の減点、9000円以下の罰金なんだって。え、違法だったの? 全然知らなかった。岐阜県はそれの成績(?)がすごく悪いそうだが、そりゃそうでしょう、僕も初めて知ったよ。
 ぐぐってみると、全国平均で80%のドライバーが一旦停止しないのだって。だろうなあ。車校の講義でしっかり違法と教えるべき。ちなみに僕はいままで止まるか半々くらいで、実感としては止まっている方だと思う。

図書館。産業文化センターにて県知事選の期日前投票。市役所。


ブラームスのピアノ協奏曲第一番 op.15 で、ピアノはマウリツィオ・ポリーニ、指揮はカール・ベームウィーン・フィルハーモニー管弦楽団NML)。ブラームスのピアノ協奏曲第一番をグリモーのピアノで聴こうと思い、2012年のネルソンスとの共演の冒頭、それから昔のエラート盤も少し聴いてみたのだが、いずれもあまり入り込んでいけず、自分はもうこの曲が聴けないのかなとちょっと悲しかった。で、これまで CD で繰り返し聴いてきたポリーニベーム盤を何となく聴いてみたのだが、感動して泣けてくる始末である。かつてを思い出して感傷的になったというほどでもなく、いやさてポリーニは完璧すぎて冷たいというような評言もこれまでよく目にしてきたが、まったく顧慮に値しないそれなのではないかとあらためて感じた。ポリーニの「完璧さ」というのは、つまりはモダンの極限まで到達しているということである。ブーレーズブラームスをまったく同じ方法論で弾けるといってもいい。まあしかし、わたしは別にそんなことはどうでもいいのだ。いまの若い人たちにはほとんど通じないことであろう。あらためてこの録音を聴いてみると、ベームがまたすばらしいね。ベームポリーニが気に入ってもっとたくさん一緒に録音するつもりだったらしいが、その途中で死んでしまった。ベームってのは大指揮者だったが、いまどれくらい聴かれているのだろう。この録音を聴いても、第一楽章の終結部のポリーニが飛んでもない迫力を聴かせているところ、ベームもよく応えていてすばらしかったり。なかなかこんな演奏は聴けない。この曲をポリーニはこの後アバドティーレマンと録音しているが、ティーレマンとのなどは CD を聴き返す気にもなれないけれど。ポリーニも老いた。

わたしの出発点はグールドと70年代のポリーニだったが、それが本当に幸せなことだったのかはわからない。彼らはあまりにも突き抜けていたから。青柳いづみこさんはピアニストとしてポリーニが直撃した世代だそうで、(ポリーニ本人に対してではないが)随分うらめしかったそうである。わたしはもちろんピアニストどころか、音楽はさほど知らないのだが、青柳さんの気持ちはわかる気がする。
 ついでに書いておくと、ポリーニがいちばん録音したかったのはベートーヴェンということだが、そして生涯をかけてピアノ・ソナタ全曲を録音したが、70年代の一部の録音(具体的には op.101, op.109, op.110, op.111)を除いてわたしはあまりいいとは思わない。ベートーヴェンはモダンの枠に収まり切らないからである。ベートーヴェンは武満さんのいう「どもり」に満ちた音楽家であり、ポリーニの方法論では処理し切れないそれであった。

ブレイディみかこ『ワイルドサイドをほっつき歩け』を読み始める。おもしろいことはおもしろいのだが…、正直いうと自分とブレイディみかこさんとの間に隙間ができてしまった感じ。文章が読むはしから解体されてしまって、言葉が頭の中に入ってき難い。ライムスター宇多丸さんが「高みからレッテル貼ってるだけじゃわからない」と帯に推薦文を書いているが、わたしがそういう「高みからレッテル貼ってる」人間だからかも知れない。