こともなし

晴。
 
NML で音楽を聴く。■ブラームス交響曲第二番 op.73 で、指揮はヘルベルト・フォン・カラヤンベルリン・フィルハーモニー管弦楽団NMLCD)。かねてから CD で愛聴してきた演奏だが、リマスタリングでまったく別のような新鮮な音になっていて、ほとんど呆然とした。いままで聴いてきたのは、何だったんだろうという感じ。限りなく美しい、磨き抜かれたブラームスだと思って聴いてきたのであるが、とてもそんな感想に終わるような演奏ではなかったわけだ。70年代カラヤンの、コッテリとした、べたっとした油っぽさみたいなこれまでのイメージは、どうも全然ちがうんじゃないかとも思われる。まあ、うまくいえないんだが、ベルリン・フィルはいまの指揮者ではこんな凄い音は出ない。カラヤンは天(高み)と地(深さ)を繋ぐ、そんな感想すら浮かんでくる。
 
昼。
■フランクのヴァイオリン・ソナタ イ長調で、ヴァイオリンはエリカ・モリーニ、ピアノはルドルフ・フィルクシュニー(NML)。古きよき演奏で、いいものは古びない。

 
ざっと部屋を掃除する。
ついでに家計簿の整理。
 
 
原武史『最終列車』(2021)を読み始める。エッセイ集と呼ぶには、骨太の本だ。鉄道を語るのに、歴史的視野が忘れられていない。そしてやはり、原さんの鉄道愛。わたしもいまでこそすっかり車で移動ばかりになってしまったが、乗り鉄というほどではないにせよ、鉄道に乗るのは大好きだったし、いまでも好きだから、本書を読むと鉄道に乗りたくなってくる。いや、そのうち、国立国際美術館を訪れるため、大阪まで在来線でいくつもりだ。楽しみである。

 
夜。
朝刊に吉田秀和さんのこんな言葉が引用されていた。「芸術は生活を飾る花、余裕があってはじめて生まれるものと考えてる人が多いけれど、それは逆。芸術は生活の根なのです。」さすがである。いまは余裕があるからこそ、芸術に力がないということはあるかも知れない。というか、「芸術」という「高み」になってしまっては、もうおしまいというところはある。泥くさくて下らないものの中から、精神の糧は生まれてくるものだろう。
 
浅田彰が語る、今の日本に欠けているのは天才芸術家ではなく天才プロデューサー - YouTube
うん、おもしろいな。坂本さんも最後のパートナーの空さんも、プロデュース能力がすごかったと。坂本さんはおもしろそうな人たちを会わせて、化学変化を起こさせる力があったというのだな。そこらへんでは、有名な編集者だった父親と似ているところがあった、と。