『コレクション瀧口修造3』

晴。いい天気。

スーパー。

けさ新聞を見ていたら、あるおしゃれなおじいさんが、権威が幅を利かす教条主義的文化受容でなくなったのはよいが、といいつつ、いまの若者は白土三平押井守も知らないといって非難していてやれやれと思った。お説御尤もではあるが、それがまさに権威主義なんですよ、他人のことならわかるであろうに、自分のことだと、こういう柔軟な人でもわからないのだな。ま、わたしは権威主義者でもあるので、このおじいさんを単純に disれないわけだが。

モーツァルト交響曲第三十五番 K.385 の動画を視聴する。指揮はベルナルト・ハイティンクロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラ。

ハイティンクにはモーツァルトのシンフォニーの録音はあるのかな。少なくとも NML には入っていない。ある時期から RCO との録音があまりなくなったような印象だが(よくは知らない)、やはりハイティンクといえば RCO だ。おそらくは最晩年の演奏だろうが、たるみ・ゆるみというものがまったくなく、躍動してフレッシュですらある。もちろん、持ち前の上品さも欠けることはない。ヨーロッパにはまだこういう超一流が残っているのだなというのは、ちょっと衝撃を感じる。わたしの大好きな巨匠だった。さようなら、マエストロ。


昼から、ミスタードーナツ イオンモール扶桑ショップ。エンゼルクリーム+ブレンドコーヒー418円。
図書館から借りてきた、『コレクション瀧口修造3』読了。瀧口を読んで外へ出たら、世界が隅々まで美しかった。いつもの主要幹線道路の風景も、BGMとして流していて陳腐化している筈の、ピリスのモーツァルトも。瀧口の、深いというか、遠いというか、夢のような世界。実際この巻には夢の記述(たぶん、発表されるという意図がなかったものまで)があるが、これらが届いているのはどういう領域なのか。東洋(あるいは日本)でもあるし、西洋でもある。そして、根源的な、言葉。

他国語よ、おまえはもうすこし自国語に近づいてもよい。
自国語よ、おまえはもうすこし他国語に近づいてもよい。

冥いが、どこか乾いた言葉たち。抽象でもあれば、具象でもある。

 

帰りに、フラワーパーク江南を少し散歩。どうせこの世界の美しさは写真に収まらないとわかっていても、陳腐なそれを結構撮ってしまった。














作り物の風景もわたしは別に嫌いではない。散歩だから。

ベートーヴェン交響曲第六番 op.68 で、指揮はベルナルト・ハイティンクベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。2015年の演奏。

 
夜は Ruby 遊び。