晴。
早起き。さすがに昨日寝過ぎたせいで寝ていられなかった。爽やかな朝を迎えられてうれしい。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第十四番 op.131 で、演奏は Afiara Quartet。この曲をベートーヴェンの最高傑作とする人も少なくない。このベートーヴェン・マラソン視聴もこのあたりがピークだな。色んな余計なことをつらつら思いながら聴いてしまった。例えばこの曲は自分をだいぶ超えていて、よくわからないところもあるのだけれど、それでどうして聴くのかなとか、ホントにどうでもいいな。というのは、いまの高校生たちにたとえばベートーヴェンは超カッコいいのだとか、『ドン・キホーテ』はじつはとっても悲しい話なんだとか、本当のことを教えてやるのだが、誰もこれっぽっちの興味も示さないのである。そういうのはよくわからない、よくわからないものをどうして聴いたり読んだりするのか。先生は変わり者だから。まあそんなところか。まあ僕が若い頃色いろ読んだり聴いたりしていても、僕のまわりの者たちも同じ反応だった。これでもいちおう進学校、難関大学とか、そういうところへ行っていたんですけどね。まわりの者たちは皆エリートになっていったが、じつに物を知らぬ奴らしかいなかったな。まあ、そういう経験をしておいたのはよかったとは思う。自分がいまの時代を見るベースになったからね。ってベートーヴェンの傑作とは大ちがいの話になった。凡庸な話である。
バッハのブランデンブルク協奏曲第五番 BWV1050 で、演奏はクロアチアン・バロック・アンサンブル。いまでは当り前になった、古楽器による現代的な演奏。レヴェルは高い。オーセンティック楽器による演奏がふつうになって、ポピュラー・ミュージックを聴いている若い人たちがバロック音楽を聴くようになったという現象が報告されているが、おもしろいことだと思う。バロック音楽はシンプルでわかりやすいいい音楽が多いし、それに現代楽器の12平均律による調律は転調を自由にするが、どうしても響きがダルになるのに対し、オーセンティック楽器の古来の調律は響きがよいので、若い人たちにも気持ちよく聴こえるということがあるのではないか。僕も現代オーケストラを聴いていると、正直いって響きがきたなく感じられることがある。バッハ演奏などは劇的に変わり、鮮烈な音楽として聴かれるようになった。はからずもグールドのバッハが先進的だということにもなった。でも、これも正直にいうと、古くさいカラヤンのバッハとか、僕は嫌いじゃないんです…。
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図書館から借りてきた、W・G・ゼーバルト『空襲と文学』読了。鈴木仁子訳。
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まあゼーバルトは「どーでもいいってのは絶対ダメ!」って人で、僕はどーでもいい人だから、そこがちがうのだろうな。でも、僕だって何でもどーでもいいという人ではないつもりなのだが、しかしどちらかというと、正義で人を殺したりする人は、「どーでもいいってのは絶対ダメ!」って人の方に多い気がする。実際、本書でゼーバルトはアンデルシュを文学史的に確信犯的に殺害してみせた。これぞ正義であるのだろうが。
何だかこんなことを書いていて、嫌になってきた。気がくさくさする。正義ばんざいって言うか。
マンの『ドクトル・ファウストゥス』読んでみたいな。面倒くさそうではあるけれど。