吉本隆明『匂いを讀む』

晴。
こんな基礎的なことが出来ていなかったのかという感じ。まったく修行が足りない。
昼から県営プール。

図書館から借りてきた、吉本隆明『匂いを讀む』読了。こんな本は知らず、図書館の棚で見かけて借りてきた。日本の文学における「匂い」について語られたもので、自分には圧倒的な力量と思われた。しかし、多くの人はバカにするかも知れない。万葉集古今和歌集など、和歌における「匂い」については吉本さんの独壇場という感じがするし、やはり「源氏物語」が「匂い」についてもずば抜けてすごいというのもよくわかった。だって、宇治十帖など「薫」だし「匂宮」だしね。近代ではいわゆる「漱石山脈」の作家たち。芥川は「匂い」においても敏感すぎるくらいで、確かに吉本さんのいうとおり、病的なレヴェルなのだな。それから気になったのは、現代において自分の体臭が気になる人が非常に増えたことで、それが病的なレヴェルに達した少年を自分もよく知っているくらいである。確かに、日本は極端なまでに無臭社会になった。音に無感覚無関心なのに比べて、対照的だと思う。

匂いを読む

匂いを読む

ちょっと話は飛ぶが、映画館で映画を観るとき、どうして音があんなに大きいのか。やかましいとしか思えないのだが。皆んなあれがふつうなの? どうしてあれが我慢できるのだろう。僕が映画館にほとんど行かない理由の一つがそれである。(あと、貧乏人には料金が高すぎるということ。)