蓮實重彦『随想』/『吉本隆明詩全集5 定本詩集』

日曜日。晴。
おかしな夢を見た。無意識は、お前の考えの及ばない遠くに目標を設定しておいたよとでも言うかのようだ。今まではあまりそうではなかったのに、頭がだいぶバロック的になってきている。でも、そもそも脳の神経構造はバロック的なのだよなあ。
音楽を聴く。■バッハ:イギリス組曲第一番 BWV806(ヒューイット、参照)。■モーツァルト交響曲第三十五番 K.385 (ムーティ)。いわゆる「ハフナー」。いい曲ですな。


図書館から借りてきた、蓮實重彦『随想』読了。おもしろそうな本だけでなく、むかつく文章家の本も読もうと、蓮實重彦鶴見俊輔坪内祐三あたりを借りてきた。で蓮實重彦を読んだのだが、別にどこもむかつかないので拍子抜けした。現在には稀なる知的で教養に溢れ、大変な頭のよさを見せつける本物の「文化人」の畏敬すべき著作であった。蓮實氏は、ハイブロウなハイカルチャーだけでなく、アドルノ&ホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』をバカになさるとおり、サブカルチャーまで目配りを怠らないように見える、現在における第一級の知識人であることは疑いない。まあ自分には本書はどうでもよかった(というより、読んでいて段々ゲンナリしてきた)のだが、それは氏のまずは専門と見做されているフローベールや、また特に映画が、自分のよく知るところでないせいもあろう。しかしサブカル&エンターテイメント(ちなみに氏は、日本における「純文学」と「エンターテイメント」の区別を「ありもしない」(p.234)ものだと仰っている)にまで目配りを怠らないのはさすがであるが、アニメは御覧になっても、マンガやゲーム、AVなどはあまり渉猟されないようで、そんなことでアドルノ&ホルクハイマーをバカに出来るのかとは思うけれども。まあ、ひとりで何もかもをやるっていうのはむずかしいというか、ムリですけれどね。それから、どうして理系の本はお読みにならないのかとも思う。とてつもない秀才の蓮實氏になら、数学だって簡単であろうに。ともかく、知的で刺激的な本なのは間違いない。そういうのを求める方には、最高の読書を約束してくれるであろう。
随想

随想

蓮實氏は有意味なものか、瞬間的に無意味さを露呈し白痴的に輝くようなものしか享受しない。現在の我々の世界は、どこまで行っても単にフラットでどこまでも無意味にすぎず、どれだけ享受してもホワイトノイズの集積にしかならないもので出来上がっている。それは蓮實氏にはコジェーヴの言う「日本的スノビズム」の世界として理解され、最初から切り捨てられている。さすがにエスタブリッシュの態度と云うべきであろう。自分はそれが必ずしも非難されるべきだとは言わないし、有意味なものは飽くまでも守らねばならぬという態度に不賛成ではないけれど、それは砂浜にこしらえた砂の堤防で、巨大な津波を防ごうというそれに似ているのではないかと思う。有意味なものは、廃墟のあとに建設されるしかあるまい。仮に未来があったらの話であるけれど。

図書館から借りてきた、『吉本隆明詩全集5 定本詩集』読了。吉本さんの有名な詩がもっとも多く収められているのが、このシリーズでは本巻であろう。ノミで切り出した跡もなまなましい、無骨な詩たちが並んでいて、なるほどこれが吉本さんの代表作たちであるのだなと思った。これらの荒々しさのインパクトは強く、いま読んでもとても新鮮に読める。ただ、『日時計篇』などの抒情的とも言える詩も、たぶん吉本さんの詩としてはあまり読まれていないようであるが、自分には捨てがたい。もちろん、本書の詩篇が詩として、上手いものではないかも知れないが、価値の高いことははっきりしているだろう。とにかく、自分にはそのゴツゴツした新鮮さが嬉しかった。ふにゃふにゃな詩ばかりが詩ではあるまい。まさしく戦後の現代詩という感じがする。そしてその生命力は、いまでも消え去ってはいない。
吉本隆明詩全集〈5〉定本詩集 1946‐1968

吉本隆明詩全集〈5〉定本詩集 1946‐1968