湯川豊『星野道夫 風の行方を追って』

晴。

シューベルトの「さすらい人」幻想曲。ピアノはジュリアス・カッチェン。そっけない演奏だけれど、自分にはフィットする。最後はさすがにちょっとテンポが速すぎて、弾き飛ばしている感もあるが。この曲、好きなのだよね。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第三十二番 op.111。ピアノはマリア・ジョアン・ピリス。ピリスはいつからこんな大ピアニストになったのだろうなあ。現代に大ピアニストは本当に少なくなってしまった。しかしアルゲリッチによ内田光子にせよ、女性ピアニストが多いな。

ベートーヴェン弦楽四重奏曲第八番 op.59-2 で、演奏はバリリ四重奏団。コメントに「ちょっと遅すぎる」というのがあるけれど、まあそうではあるのだが、これはこれで説得力のある演奏だと思う。というか、力強くてすばらしい。バリリQは往年の名カルテットであり、やはりそれだけのことはある。もう少し他にも聴いてみたくなった。

某ブログを読んでいて、いまの出版事情のきびしいという話。僕は特に驚かない。力のない人間たちが内輪褒めに終始している業界が、落ち目にならぬ筈がない。毒にも薬にもならない文章か、実力もないのにやたらエラそうな文章か。ブログでも読んでる方がまだマシと思うこともある。もっと毒を。
どの分野でも感じることだが、いまや才能と多少の努力だけでやっている人間しかいない。才能なんていうのは、所詮偶然であり、開花させるには努力も必要だが、それだけのことである。そして、才能だけでやっていける人間は、その分野で一世紀に数人くらいのものである。いまや、厳しい自己陶冶を経た人間がいないのだ。自分を崩壊させつくし、ゼロから出発しなければならないような人間が。じつにつまらぬことである。

ヌートリアに巻きかけの白菜を喰われた!!

このままでは畑の野菜が軒並みやられてしまうので、冬野菜のところだけ網で囲う。去年はやらなくて済んだが、今年はまた現れよった。まったく。

図書館から借りてきた、湯川豊星野道夫 風の行方を追って』読了。なかなかいい本だと思う。特に第一部には惹かれた。僕は星野道夫という人はまったく知らず、先に評伝を読んでしまったことになるが、それも湯川豊という人の文章に興味をもったからである。先日は須賀敦子について書かれた本を読んだ。いずれも、いい文章で書かれている。本書第一部は、それだけで価値をもっていて、単なる評伝に留まるものではない。まるでフィクションのような作品性がある。そして、星野道夫という人を的確に描いているのではないかと想像された。写真家であり、物書きでもあり、冒険家でもある星野道夫という人の魅力がひしひしと伝わってきて、星野道夫の著作が読んでみたくなる。
 第二部は星野道夫著作集に収められた解題を集めたものである。特に第一部とちがっているところはなく、文体も見事なものであるが、自分はなぜか文章に入っていくことができなかった。これは自分でもまったく説明のつかないことなので、なにか自分がまちがっているのかも知れない。なお、須賀敦子について書かれた本を読んでも、本書を読んでも、基本的に僕は著者とは相容れないタイプの人間なのだと感じた。というか、著者のような人は、自分のようなタイプの人間を許容しないであろう。それでも、本書第一部には惹かれたと繰り返しておく。

星野道夫 風の行方を追って

星野道夫 風の行方を追って

本書によれば、星野道夫はアラスカ*1で就寝中にクマに襲われて亡くなったのだという。これは自分にかなり深い印象を与えた。星野道夫ナチュラリストとして自然に同化しきれずにクマに襲われたのか、それとも食い食われるの関係を自分の内部で消化しきって、自分の体をクマに与えたのか、どちらなのだろうと思った。これから星野道夫の著作を読むことがあれば、そのことを気にかけて読むような気がする。というのは、星野道夫という人は生と死の連続性という真実に、かなり迫っていたように本書からは読めるからである。ちょっと高岳親王を思い出させないでもないから。

*1:追記。これは誤りで、正しくはロシア・カムチャツカ半島。どうやら星野を襲ったクマは野生のそれではなく、人間に飼われて(餌付けされて)いたそれらしい。星野の死は犬死であったのか。