ヘーゲル『哲学史講義 II』/ポール・セロー『ワールズ・エンド(世界の果て)』/細谷雄一『国際秩序』

曇のち雨。
ヘーゲル哲学史講義 II』読了。長谷川宏訳。このヘーゲルはおもしろい。僕程度の者にもかなりよくわかるし、ヘーゲルの仕事場の様子がよく見える。格好のヘーゲル入門ではないか。この文庫本は全四巻らしいので、残りも楽しみだ。

お買い物落手。いまストレージの類はじつに安いな。

昼から県営プール。雨のメモリアルセンターを歩いていて、世界がとても美しいという感じを受ける。何の変哲もない公共施設の敷地内であるが。そういえば、僕は学生時代を京都で過ごしたのだけれど、ふらふら自転車に乗っていて、ある種の多幸感を何度か覚えた場所があった。季節は秋か初冬だったような気がする。そこも特別何ということもない場所だった。まあ多幸感というと大袈裟で、海の好きなひとが海を見て覚える感覚のようなものだろう。さても、人間の心というのは奇妙なものである。

図書館から借りてきた、ポール・セロー『ワールズ・エンド(世界の果て)』読了。村上春樹訳。短篇集。特におもしろくもつまらなくもなかった。才気を感じさせる、そこそこの作家だと思う。「真っ白な嘘」なんかは、グロテスクでおもしろかったが。そんなにすごい作家なのかは自分にはよくわからない。まあ村上氏がいうのだから、そうなのであろう。皆さんが本書とよい出会いをされますように。
ワールズ・エンド(世界の果て) (村上春樹翻訳ライブラリー)

ワールズ・エンド(世界の果て) (村上春樹翻訳ライブラリー)


細谷雄一『国際秩序』読了。近代ヨーロッパの外交史を記述しながら、「国際秩序」について考察する意欲作とでもいう印象だった。大変におもしろくて、一気に読了した。事実本書はこの分野におけるスタンダードな新書として受け入れられているという。著者は自分より年下の学者であり、非常に明快な頭脳の持ち主であるという印象を受けた。本書はまず、国際秩序に関して「均衡」「協調」「共同体」という三つの理念を取り出し、明確な軸を作ってみせる。その上で少々意外だったのが、ほとんどいわゆる「司馬(遼太郎)史観」ともいうべき、個々の人物の役割の強調である。本書では、カースルレイやメッテルニヒビスマルクなどの個人の役割を非常に重視する。そこいらが、確かに自分のような素人には本書に魅力を与えていると感ずる。その姿勢は現代外交の記述に至るまで変わりはないが、第一次世界大戦以降はこのアプローチには無理を感じないでもない。個人が歴史に及ぼす力は、それ以前に比べて次第に小さくなっていくように思われる。本書にはもちろんトランプ次期アメリカ大統領については何の記述もないが、さて、トランプという一個人の存在が、これからどのように世界史を動かすのか、興味深い。
 また、意外な気がしたが、本書では国際秩序における経済的要因について、まったくというほど記述がない。素人ながら、これはどうなのだろうという気がする。特に現代にあって、国際秩序とグローバル化した世界経済との関係を無視することはできないように思われるのだが。たとえば日本と中国の間に将来大規模な戦争が起きるとすれば、その膨大な経済的関係を破壊することにより、両者ともに莫大かつ致命的な経済的損失を被ることになるだろう。いまの中国の覇権主義は事実でも、中国の指導者たちがそれを考慮に入れないということがあるだろうか。まあ、そんなのは素人考えにすぎないのはもちろんであるが。一方で現在でもパワーの重要性が衰えることがないこともまた事実であるし。
 いらぬことを書いたが、色いろ考える材料をたくさん頂いた、とてもいい本だと思う。なお、著者は「日本=大国」であり、将来もそうあるべきだという考えの持ち主であるようだ。また、著者は「正義」というものの存在を疑っていないようにも見える。これはいまどきの秀才の典型であり、これほど明敏なのにこのナイーブさには驚かされる。まさしく「在日西洋人」というべき人物のひとりであろう。これは非難ではなく、ただ自分のアジア人たるを自覚するのみである。