晴。
ショパンのピアノ・ソナタ第三番 op.58 で、ピアノはケイト・リュウ。2015年ショパン・コンクールにおける演奏。このピアニストは素直な音楽性が印象的だ。じつに伸びやかに弾いている。確かに生臭いところというか、強烈な個性というようなものはないが、これはこれでとてもおもしろい。ちょっとショパン以外が聴いてみたいのだが。
ショパンの即興曲第三番 op.51 で、ピアノはケイト・リュウ。この曲はあまりよく知らないなあ。
ショパンのマズルカ ロ長調 op.56-1 で、ピアノはケイト・リュウ。マズルカはショパンの中でもある意味もっとも深く、それゆえむずかしいのだが、これほどの演奏ができるとは。これは既に一流。ますます楽しみなピアニストだという感を深くする。しかし、You Tube ではこのショパン・コンクールでの演奏くらいしか聴けないとは、どういうことなのだろうな。あまり演奏会をしていないのか、たまたまアップされていないのか。CD はコンクールでの演奏をまとめたものが出ているようで、それだけのようである。ふーむ。
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ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第四番 op.23 で、ヴァイオリンはオーギュスタン・デュメイ、ピアノはマリア・ジョアン・ピリス。
ヴェーバーのピアノ・ソナタ第一番 op.24 で、演奏はアナトリー・ヴェデルニコフ。こういう二流三流の曲をヴェデルニコフが録音しているというのがおもしろい。もっとも、二流三流の曲がつまらないかというと、必ずしもそうでないわけだが。頭の中にちがう配線を作ってくれるのだ。ヴェデルニコフの演奏は力の入った見事なもの。ここまで真剣に演奏してもらえれば作曲者は以て瞑すべきであろう。
昼過ぎ、図書館。曇ってしまった。
夜、仕事。
ツイッターこそが現在だと思うが、そのツイッターが苦手だ。読んでいると自分か世界かのどちらかを消滅させたくなってくる。ダメ人間。しかし、まだ当分見続けるけれど。
しかし思うけれど、人間って本当に下らんね。ツイッターをやっていてポジティブでいられる世の中の大部分の人たちはマジすごいと思う。というか自分がダメなのだが。
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若松英輔『内村鑑三』読了。続きを読んだ。うーん、何というか。僕は若松英輔を信用しているし、もちろん自分とは比較にならない真摯で力のある人だと思っているが、本書は途中から文章の意味がかなりの部分取れなくなってしまった。若松が真剣真摯に書いているのは伝わってくるのだが、恐ろしいことに空語の連続のようにしか受け取れないのである。いずれにせよ内村鑑三はえらい人らしいから、読んで見なくてはなるまい。それにしても優れたキリスト教徒は心がとてもきれいであるが、何とも恐怖であるとしか言い様がない。復活されたキリストは再臨し、「ヨハネの黙示録」そのままのことが起きるのだそうだ。仏教徒である自分はキリスト教徒でも、またイスラム教徒でもありたいと思っているが、いまのところそれはなかなかにむずかしい。まさに凡人である。
- 作者: 若松英輔
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2018/01/20
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キリスト教の議論には根底に「神=キリスト」という矛盾がセットしてある。その矛盾が根本的な第一原理なので、それを認めてしまえばそこから出てくる議論はすべて厳密に論理的な意味で正しいとしかいえない。つまり、キリスト教は無謬である。恐ろしいことである。