河出文庫版『ドゥルーズ・コレクション1』/大澤聡『批評メディア論』

晴。
音楽を聴く。■モーツァルト:ピアノ協奏曲第九番K.271(ピリス、テオドール・グシュルバウアー)。エラート時代の録音。最初は意外とマイナーっぽい感じで、必聴ではないかもと思って聴いていたのだが、そのうちぐんぐん惹かれていった。吉田秀和さんが言っていたとおり、モーツァルトのピアノ協奏曲につまらない曲はない中で、これはモーツァルトが特に力を入れて書いた素晴らしい曲である。今のピリスならちがった風に演奏するかも知れないが、これはこれで本質を捉えた、魅力的なものだ。しかしピリスだが、デンオン時代、エラート時代、DG時代と見てきて、本当に精進してきたなと思う。天才や偉大なピアニストというのは結構いるけれど、これほど伸びた演奏家というのは非常に少ないのではないか。もちろんそれぞれの時代で魅力はあるのだが、ピリスは普遍性への厳しい努力をしてきた筈だ。そういう意味でも感激させられた演奏である。

Maria-Joao Pires: The Complete Erato Recordings

Maria-Joao Pires: The Complete Erato Recordings


河出文庫版『ドゥルーズ・コレクション1』読了。初めてドゥルーズを読んだ気がしている。昨日もちょっと書いたが、アンチョコから想像していたのとはちがうドゥルーズが立ち上がってきた。たぶん秀才たちが思ってもみなかった読み方かも知れない。と言っても斬新な解釈とでも云うものではなくて、単に個人的なものである。秀才たちの書いたアンチョコたちはその性格上、ドゥルーズのテクストをパズルを解くように読んでいるが、僕が思うに、ドゥルーズの文章には深い「感情」が流れているように見える。僕は感傷的な人間でもあると自覚しているが、そうした人間でもドゥルーズは読めるのだということ。例えば、ドゥルーズはしれっとした顔で冗談を言ったり、淡々とムカついていたり、また笑っていたりするのだ。そんなことは当り前? そうかも知れないが、そういう初歩的なことを、誰も言ってくれなかったと思う。
 それから、ドゥルーズの言っていることは、時には「現代思想」のタームとはちがった用語で言い直さねばならないだろう。例えばドゥルーズの「差異」という概念を、仏教のタームで語ってみるとか(まだ自分にはできませんが)。
 しかし、頭が悪いってつまらない。もう少しかしこかったら、ドゥルーズはもっとおもしろいだろうに。秀才たちが羨ましいところもありますね。大澤聡『批評メディア論』読了。副題「戦前期日本の論壇と文壇」。労作である。自分の聞いたこともない固有名詞が乱舞している。また、新しい文体の創造も目指している。無知な自分には正直言って退屈なところも多かったが、それは著者が悪いわけではないだろう。特に若い人にはおもしろく読めるのではないか。自分に関して云えば、ここには自分にない感性があると思った。そこいらでは、本書を読んで得るところもあったかなと判断する。
批評メディア論――戦前期日本の論壇と文壇

批評メディア論――戦前期日本の論壇と文壇