柴崎友香『その街の今は』

晴。のち曇。蒸し暑い。
前の晩は早く寝てしまったので、未明に起きる。起床前の夢で、理系的知識を抑圧していることが判明。ふつうの理系的知識とふつうの文系的知識を同居させるだけでも結構面倒なのだよなあ。もっと両者が世間的にも近くなると、楽になると思うのだが。
音楽を聴く。■バッハ:イギリス組曲第三番 BWV808(ルセ、参照)。完全にグールド以降の演奏。ルセはなかなかいいハープシコード奏者だな。■モーツァルト交響曲第四十一番 K.551 (ベーム参照)。■ショパンマズルカ嬰ト短調 op.33-1、ニ長調 op.33-2、ハ長調 op.33-3、ロ短調 op.33-4 (ルービンシュタイン参照)。■ショパン:バラード第二番 op.38、第三番 op.47、第四番 op.52、舟唄 op.60 (ツィマーマン、参照)。
表面的。浅薄。冷徹。無感動。ふーむ。大悲がすべての基礎になるということ。
散髪。

昼から図書館。いまあんまり元気がない。そうそう、今まで気づかなかったのだが、市図書館の音楽本はかなり充実していますね。もう何年この図書館に通っているのかというくらいなのに、気づかなかった。
このところちょっとプログラミングから遠ざかっている。飽きたというわけではたぶんなくて、まつもとさんのツイッターは欠かさず読んでいるし、プログラミング関連の色んなブログやサイトをよく読んだりはしている。ただ、プログラマ、ことに上級者にこそ目に付くのだが、彼らはほぼ例外なく(は言い過ぎか)根性がひね曲がっていますね。ハンドアックスとか言って技術的な難癖をつけたりするのはまだ生産的なのだが、それ以外にじつに嫌なこと(と本人は恐らく気づいていないのかも知れないが)を言う人がとても多い。それがコミュニティのデフォルトになってしまっている。たぶん、精神的に幼稚なのだな。まつもとさんなどは例外的に本当に紳士で、しょっちゅう嫌なことを言われているのに、感情的に反応されるところは見たことがない。外国人は知らないが、とにかく日本人のプログラマにはそういう強い傾向があって、自分のような初心者はちょっと引いてしまう。これでは、日本でプログラマが尊敬されるようなことにはなかなかならないだろう。正直言って、ちょっとウンザリしている。

図書館から借りてきた、柴崎友香『その街の今は』読了。なかなかいい小説。著者は同性に好かれるタイプの小説家ではないか。この小説は自分の予想とはちがって、そんなにさらさらの軽いタッチというわけではなかったが。どうも最後は歌ちゃん、不倫しそうな感じだし。しかし自分のまわりでも不倫の話は別にめずらしくもなくて、皆んなよくそんな面倒なことができると感心してしまう。まあ、僕なんかには面倒くさすぎて無理ですね。そんなことはどうでもよくて、あと、この小説では二〇代の男女のナチュラルな関西弁が聴けて、自分も一時期関西にいたので、なつかしかった。なかなかこういう関西弁は、テレビなどではお目にかかれないのだよね。もう会話に関西弁がふと混じるということもなくなったが。

その街の今は

その街の今は


どうもそのうち必要になりそうなので、旧XP機の LMDE2 に virtualenv で Python を入れる。サクッと入った。さすがは Linux
現代。確率的存在ではなく、統計的存在について考えなくてはならない。