藤沢周『サイゴン・ピックアップ』

曇。
早朝出勤。
仕事場の近くにオシャレな喫茶店を発見。最近はやりの「モダン和風」とでも云うか、「珈琲店」とでも書いた方が似合うようなシックな店。女性だけでやっていて、珈琲の味にこだわっているという感じである。店内は間接照明が効いていて、ピアノがクラシック音楽を自動演奏している。客層は街の近所の年配の方たち。こういう店が近所にあるとちょっといいなというような店だった。まあ雰囲気が自分に似合うかどうかは別だが。そうそう、本日おすすめの珈琲はブラジル○○農園の豆なんていうので、なかなか美味しかったです。

昨日濱口桂一郎さんの本について書いたら、早速著者のブログで紹介されていた(参照)。素人の垂れ流しの読書感想文なので恥ずかしかったが、まあ書いたのは事実だから仕方ない。できれば、過去記事は放っておいて欲しかったのですが^^;…。いいかげんに書いたつもりはないけれど、どれもとても「書評」ではないですね。そのうち山下ゆさんの新書批評あたりできちんと書評されるであろうから、内容はそちらなどを参照して頂きたいです。自分のは、おもしろかったことが伝われば充分で、果たしてそうなっていたか。著者としては片々たる駄文でも気になるでしょうが、濱口さんの取り上げ方は、SNS などには過剰な期待はされておらず、優秀な学者として良識的なものだという気がする。いいかげんなことを書かれてはたまらんでしょうから、微妙なのはそこらあたりでしょうね。まあ、平凡人である自分のなどは、大したものではありません。
 しかし、平凡人の正直な感想を書いておくのはまったく無意味ではないかも。そういうのは、ネットがなければ掬えなかったような言葉であろうから。自分のは、皆んなそんなものです。

藤沢周サイゴン・ピックアップ』読了。この人のチープな妄想力はじつに刺激的だ。著者はどうやら仏教の「悟り」って妄想が好きらしくて、本書は全編がそれで埋め尽くされているが、もちろんこういうのを煩悩と云うのである。僕は藤沢周という作家がかなり好きなのだが、この人の小説はどれもすべてが妄想だ。意外と、そういう小説はなくて、我々凡人には延々と妄想することはじつはむずかしいのである。そしてその世界の徹底したチープさと偽物ぶり、こういう現代小説は多いようで、これも意外と少ない。つい、作家はふつうは「本物」を書きたくなってしまうものだ。
 で、連作短篇集である本書であるが、特に最初の方がよかった。段々最後の方になってくると、「悟り」という妄想を維持していくのがむずかしくなってきていて、少々残念な結末になっている。著者は「偽物ぶり」というものを強調するが、仏教では本物とか偽物という発想自体があまりおもしろいものではないと教えるのである(しかし、仏教自体はやはり「本物」なのではある)。残念ながら、本書よりは仏教そのものの方がずっと危険で、かつおもしろいのだ。しかし、是非ともかかる妄想は突き詰めて欲しいものである。著者のチープな感性は、確実に倒錯的だ。