晴。
音楽を聴く。■バッハ:管弦楽組曲第一番 BWV1066 (シギスヴァルト・クイケン、ラ・プティット・バンド)。美しい。
- アーティスト: シギスヴァルト・クイケン,ラ・プティット・バンド,J.S.バッハ,バルトルド・クイケン(トラヴェルソ)
- 出版社/メーカー: Accent
- 発売日: 2013/08/30
- メディア: CD
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国家は国民の幸福や安全を考えないわけではない。もちろんそれは考える。しかし、それは第一のことではなく、国家はまず国家のことを考える。国民については、その次である。国家の存在は自己目的化し、国家の存在理由は顛倒しているが、それはどのような国家であってもそうなのである。国家の存在と国民の幸福・安全が対立する場合(それは意外に頻繁にある)、前者が優先されることが殆どである。国民が国家に対して批判的であった方がよい所以である。「批判的」は critical ということ。
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旅行の参考書として、白州正子の『近江山河抄』を読む。最近白州さんをとんと読んでいないけれど、もっと読んだ方がいいな。確か図書館に結構あった筈。
『D・H・ロレンス幻視譚集』読了。『チャタレー夫人の恋人』があまりにも有名なD・H・ロレンスは、たぶん初めて読む。こんな作風の短編を書いているのか。底の知れない深さをもった幻想文学である。訳者解説によれば、ロレンスの自然に対する感受性は並外れて深かったという。本書からもそれは充分に窺える。文明の中で生きた「野蛮人」(悪い意味ではない)というか、これほどの感受性があって複雑な文明人と交わるのは、至極苦痛だったのではないかとも想像される。神秘というのは、本当は日常生活の中にあるものなのだ。作家は、それを生きた人なのではないか。
- 作者: D.H.ロレンス,David Herbert Lawrence,武藤浩史
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2015/09/10
- メディア: 文庫
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それにしても、自分が敬意を払っている識者たちが高橋源一郎さんを馬鹿にするのを読むと、何となくゲンナリしてくる(例えばここやここ)。高橋源一郎さんはやっぱりバカで、源一郎さんを好んで読む自分はどうしようもなく間違っているということなのだろう。まあそうなのだろうが、自分なりに考えるしかない。源一郎さんのスタンスは、「何が真実なのかよくわからないけれども、手探りででも考えよう」というようなものだと自分は思っている。それに対し、かしこい人たちは何でもわかってしまうし、「わからない」と言っているような人間がバカに見えるのだろう。こういうのに、かしこくもない大衆のひとりとしての自分は、どう対処していいのか困惑する。彼らのかしこい説明を聞いていても、一抹の違和感が拭えないのだ。さて、自分はこの違和感をどうすべきか。やはりそれを感じることから始めるしかないのではないか。たとえ愚かな大衆のひとりにすぎないとしても。
それにしても、源一郎さんは昔から猛烈に dis られつづけてきたな。その小説を読むのは時間のムダと言われたこともあったっけ(by 丸谷才一)。褒められているのを殆ど読んだことがない。吉本隆明さんが強く支持していたくらいではないか。よくもここまでやってこられたなと思う。
安倍首相は先日国連で、自衛隊のさらなる「国際貢献」としての PKO への積極参加を約束してきたしな。しかし首相は、いわゆる「安保法制」の議論の中で、たとえ自衛隊員に犠牲が出ても、日本は「国際貢献」をしますとちゃんと言うべきではなかったのか。それと正反対のことを言っておいて、いまさらこれなのは、まったく納得がいかないのだが。こういうのを「ウソつき」というのではないの? また、マスコミもこれをちっとも問題にしないし。こんなことを言う自分がおかしいのだろうか?
僕のなかなか受け入れにくい人というのは、「国民は国家のためにある」というタイプの人間である。自分にはこれはバカげた意見にしか聞こえない。どう考えても、「国家は国民のためにある」としか思えない。しかし、前者のような人は結構多い。そして後者のタイプの人間を「非国民」扱いする。勘弁してほしい。