秋はケチケチ旅行をしようというところに、母が楽天トラベルで「ふるさと割」というのを見つけてきた(ここ、または魚拓)。政府のいわゆる「地方創生事業」というので、交付金が出ているのである。たまたま行こうとしていた滋賀の「ふるさと割」があったので、それを使って小旅行に行ってきました。
雲ひとつない快晴。朝八時に出発、各務原IC から一宮JCT を経由して名神を下り、北陸自動車道に入る。道は割と空いていた。途中神田PA で休憩してから、木之本IC を出て一般道へ。多少道をまちがえながら、奥びわ湖パークウェイを走る。さすがに紅葉はまだちらほらだが、好天に恵まれて琵琶湖がじつに美しかった。つづら尾崎展望台に車を止め、景色を堪能する。琵琶湖の(狭い部分の)対岸がぼうっと霞んでいて、画に書いた景色のよう。
ぐるっと琵琶湖を半時計回りに進んで、高島市へ。道の駅「藤樹の里あどがわ」で早めの昼食。地元産の鶏肉の入った味噌ラーメン(700円)を食べたのだが、まったく期待していなかったのだけれど、なかなか悪くなくて満足。道の駅はとても混んでいて、僕らが食べたレストランも少しあとでは行列ができていた。
そのままずっと国道161号を南下し、白髭神社へ。琵琶湖に面していて、湖の中に鳥居が立っているのを知っている人もいるかも知れない。ここも琵琶湖の美しいこと! 真っ青な湖水がキラキラと光っている。神社の奥には磐座(いわくら)があり、背後の山は神体山かも知れない。ものの本に拠ると、「白髭」というのは「新羅」であるかも知れないとのこと。近江は朝鮮半島からの帰化人たちの多く移り住んだところであるから、それはあり得るだろう。
白鬚神社のすぐ近くに「鵜川四十八体石仏群」があるので、そこへも寄る。国道からの入り口がちょっとわかりにくいかも知れない。
高島市歴史民俗資料館へ。小ぢんまりとした資料館。鴨稲荷山古墳からの出土品のレプリカがある筈なのだが、レプリカも貸出中だった。しかし、学芸員の人がよろこんでレクチャーして下すって、なかなか有意義だった。鴨稲荷山古墳に葬られていたのは継体天皇の親族の誰からしく、金の耳飾りなど、めずらしい出土品が出ている。継体天皇は北陸の有力者だったのだから、湖西と北陸の近さが印象に残る。敦賀が古代から開けていて、朝鮮半島も含む日本海交易圏を形成していたことは確実であろう。古墳は資料館のすぐ近くで、石棺だけ見ることができた。
再び湖西を北上し、国道303号を小浜方面へ。福井県に入ってすぐのところに、熊川宿がある。ここにも道の駅があって、道の駅に車を止めて熊川宿を歩く。一応観光地みたいに整備はされているが、商売っ気はまるでなく、古い集落の中を歩くだけ。却って気持ちがいいとも云える。でも、観光客は結構来ていましたよ。マイナーなところの筈だが。
それから、ここで書いておくけれど、秋の好天のせいか、バイクでツーリングしている人たちがじつに多かった。あのあたりって、そういうので有名なの? 驚きました。木之本で高速道路を降りてから、ずっとでしたよ。
あとは、いわゆる「鯖街道」をずっと南下。「鯖街道」と言うのは、若狭から京の都へ鯖をかついで行った道であるから。いまは山の中の国道367号を延々と走るが、片側一車線は確実にあるので、大丈夫。以前からずっと行きたかった朽木へ。ここには興聖寺という曹洞宗のお寺があって、道元ゆかりの寺であり、創建は永平寺のそれよりも古い。そして、室町時代には、京都の戦乱を避けた第12代将軍足利義晴、第13代義輝がここに滞在していて、そのために造られた庭園が今でも残っている。じつは司馬遼太郎の『街道をゆく』にその鄙びた感じが描写されていて、それで以前から行ってみたかったのだ。恐らくいまでは観光地化、俗化しているだろうと予想していたのだが、実際はまったく鄙びたままで、まさしく夢の跡であった。ここで「政治を執った」と云っても、実際は大した権力もなかったのではないか。なお、興聖寺というのは宇治にあるのの方が有名であろう。けれども、ここの御本尊(釈迦如来坐像)はなかなか好ましいものだったことは記しておく。お庫裏さんも丁寧に解説して下さった。
あとは国道367号をずっと南下。途中から滋賀県に入り直し、雄琴温泉の「湯元館」に到着。たくさん宿泊客が居た。なお、上に書いた「ふるさと割」を使って半額で泊まれたのだが、食事はたぶん一般と同じで、我々の舌には充分な御馳走だったことを報告しておきます。接客も気持ちがよく、一泊一人10000万円以下ではあり得ないほどの満足感でした。