畑村洋太郎『技術大国幻想の終わり』

晴。
音楽を聴く。■バッハ:ブランデンブルク協奏曲第五番 BWV1050 (サヴァール参照)。これ、評価の高いディスクのようだし、客観的に申し分ないと思うのだが、実際は殆どピクリともしない。こちらが悪いのかな。欠点が見つからない演奏なのだが。でも、この曲の第一楽章には長大なチェンバロのソロがあって(実際の演奏ではバッハ自身が弾いたのであろう)、ここは大好きなのだが、この演奏では何とも響いてこないのである。最後の曲まで聴いたら、もう一度聴き直すか。■ヒンデミット:ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調 op.11-1 (ターニャ・ベッカー=ベンダー、ペーテル・ナジ)。いまヒンデミットはどれくらい演奏されて、あるいは聴かれているのか。確かに二十世紀音楽としては必聴ではないかも知れないが、それでもモダニズムの代表的な作曲家として魅力的であることに変わりはない。この曲も知的であるところと奇妙な感覚が混じり合っていて、おもしろいのである。

Violin Sonatas

Violin Sonatas

シューベルト:ピアノ・ソナタ第十九番 D958 (アラウ、参照)。シューベルトのピアノ・ソナタの中では、たぶんこの曲がいちばん好きだ。ポリーニの演奏が忘れがたい。このアラウは、どうかと思うところもあったが、やはりさすがである。
どうもゴロゴロしていたいな。本を読むかどうしよう。pha さんみたいにダルくはないけれど、ゴロゴロするのは元々好きで、しょっちゅうゴロゴロしている。「本はねころんで」という敬愛すべきブログがあるけれど、まさにこの題名どおりだし。机に向かって読むとかしたことがない。
そう云えば以前ウチの両親を後期高齢者と書いたけれど、古希はまだ後期高齢者じゃないんだって、叱られました。失礼しましたことです。でも、古希のくせに両方ともまだおじいさんだとか、おばあさんだとか思っていないのだよね。で、テレビで六十五歳くらいの人がニュースになると、「おじいさんなんだから気をつけないと」とか見知らぬ他人は老人扱いしているのだが。勝手なものであります。

図書館から借りてきた、畑村洋太郎『技術大国幻想の終わり』読了。言っていることが間違っているとは思わないが、この程度のことはネットその他で散々言われているのではないか。日本オワタなど珍しくもなく、処方箋も提出されているのに、それにもかかわらず事態が変わらないとすればどうしてかということの方が、よほど問題だろう。それから、著者は現状をよく知っておられるが、経済学の知識に乏しいように見える。経済学的にナンセンスな発言が散見されるからだ(例えば、貿易赤字や円安を否定的に見ることなど)。また、著者は原発賛成派であるが、放射性廃棄物処理の問題には意図的に触れられていない。本書には、日本企業が頑張っている話も結構あって、そういうのはなかなかおもしろかった。まあ、基本的には自分にあまり関係のない本であるが。ちきりんさんのブログで知ったのだが、いま日本で生まれる子供の数は、年間100万人だそうである。例えば中国では年間1600万人だそうで、これを見ても日本の国力が衰えていくのは不可避であることがわかる。そして、少子化はさらに進むことが予想されているのだ。これに対しては、女性や高齢者をもっと労働力として「活用」することは必要だし、それはよく認識されているけれど、たぶん根本的な解決策にはならないような気がする。少子化は結婚する男女が減っていることがいちばんの原因だろうが、僕が知りたいのは、この傾向がどこまで続くのかということである。さすがにどこかで歯止めはかかるだろうと思われるからだ。それってそもそも不可知かも知れないのだが。半世紀後、僕はもう生きていないかも知れないが、いったい日本の人口はどうなっているのだろうか。

The Beach Boys を聴く。
アマゾンのレヴューでは(オリジナルでの)B面がいいという意見が多いが、確かに。ブライアン・ウィルソンの天才が横溢している。
Today! (Mono & Stereo Remastered)

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