蜂飼耳『空席日誌』

晴。
よく寝た。寝すぎ。
ちょっと理系頭になっている。
図書館から借りてきた、蜂飼耳『空席日誌』読了。何だかいま調子が変なので、これまでのようには本が読めていない。これも奇妙な感じを覚えつつ読んだ。まあ、蜂飼耳さんもたぶん変な人だ。煮られる蚕の運命を考える人など、あまりいないと思う。そりゃ、蚕は糸を取るために品種改良されたもので(ということらしい)、必ず煮られてしまうのが宿命なのだが。駅のホーム上でちくわを食べている女の子の話は、本当なのだろうか。別に本当でもかまわないが、不思議な光景である。明らかなフィクションも、そうと断ってはいないけれども、含まれているし。蜂飼耳さんは、原始人というか、原始生活をしている人類が気になるのだろうか。とにかく、この人の日常は無限に深い。

空席日誌

空席日誌


何だかぼやっとしている。安定するのに多少時間がかかるかも知れない。ノーベル賞すごいですね。でも、海外派兵を外国で公言している安倍首相のことは皆んな忘れているようだ。まあ、日本人なんてそんなものなのだろう。外国へ日本製の武器を売るらしいですし。立派な日本人もいる一方でねえ。まあ、僕もとにかくぼーっとしています。何とか仕事だけやっている感じ。
国境なき医師団の病院を空爆したアメリカだが、アフガン軍の要請だったとか言っている。あのねえ、アフガン軍だって、病院を空爆してくれって「要請」したわけではないでしょう。「誤爆」したのはアメリカ軍でしょう(誤爆じゃなかったら何なのか。まさか意図的だったわけではないだろう)。って、本当に謝らない連中だな。そんなこと、言い訳になるとでも思っているのか。また、それをアメリカ人はどう思っているのか。こういうところが信用できないのだ、あの国も、あの国民も。日本はこういう奴らのマネがしたいのだな。
 だいたい、国境なき医師団の病院を「誤爆」したからこそニュースになったので、毎日のようにアフガンの民間人が「誤爆」で死んでいるのは滅多にニュースになどならない。アメリカは、タリバンが民間人に紛れ込んでいるからいけないのだと云う。紛れ込んでいるから、タリバンと一緒に民間人も殺すのはやむを得ないと言っているのだ。アフガニスタン人の命の重さの軽いことよ。これが「リアル・ポリティクス」なのだそうである。まったくご立派ですこと。
 まあ、こんなところに何を書いても無意味なのだが、無意味でも気になったので、一応。カスの過疎ブログなりの倫理でね。
 デリダの関係で浅田彰さんも「投瓶通信」ってことを言っていたことがあるけれど、過疎ブログってのもまったく一種の「投瓶通信」みたいなものですね。誰も読んでくれないかも知れないけれど、それでも海へ投げるという。つくづくブログなんて馬鹿らしいと思うこともあるけれど、ほんの少しは読んでくれる人もいるので、それはありがたいことです。そうしてみると、やっぱり世界との関係は断てないのだと思う。それは執着だろうか。むずかしいものである。
 ただ、これを主張したい、ってことが特にあるわけではないな。世界に反応するという感じ。それで悪いとはまったく思わない。ブログが馬鹿らしいと言ったけれど、SNS の中ではブログがいちばん好きだ。結局、いちばん元気をもらうのが皆んなのブログからなのだよね。以前東浩紀さんが「ブログをやっているというだけで信用する」と言っていたけれど、それはだいぶ前の状況の話ではあるが、僕も似たようなことを思う。「ブロガー」(死語)とかは大抵ただの目立ちたがりで、特に興味はないけれど。
 ぼーっとしているのではなかったのかって? いや、ぼーっとしています。(AM00:55)