池内紀『なじみの店』

日曜日。雨。
安永祖堂を読む。

図書館から借りてきた、池内紀『なじみの店』読了。

なじみの店

なじみの店

ちくま文庫小山清を読む。冒頭の二篇には辟易させられたが、その他はどれもいい。特に「犬の生活」は最初の数行で惹き込まれ、心が震えっぱなしだった。しかしこの人の小説、どれも幸福が見えかかったところ、これからというところで終ってしまっている。「夕張の宿」も「早春」も、お互いが好意をもって、二人はうまくのかというところでお仕舞いなのだ。もしかすると、二人にはこの後、何にも起きないのかも知れない。現実は、そういうことも多いだろう。「朴葉の下駄」でそうであるように。僕自身、引っ込み思案な人間には女神は微笑みにくいことを実感してきた。しかし、著者だが、これほどのものが書ければ充分ではなかったか。これは誰にでもできることではあるまい。
 さて、半分くらい読んだ。後も楽しみだ。

カレーなる辛口Javaな転職日記
このところ愛読(かつ拝読)しているブログ。IT産業と云えばまず現代の最先端のひとつであろうが、そこを通して今の日本の驚くべき現実が見えてくる。正直言って、一〇年後に日本が劣等国に転落していても、自分はまったく驚かない。病根が深すぎて、自分などには云うべき言葉もない。しかし政治にせよ経済にせよ、どうして日本はこんなことになったのか。いや、じつはわかっている。まともな人間も存在するのだが、多勢に無勢だし、さらに受験エリートがバカすぎるのだ。僕の知人にはエリートが多いので、さもあろうと思う。自業自得だな。
 ついでだから書いておくか。日本政府はこのところ沖縄を植民地みたいに扱っているが、こういうことをやっていると、独立されても知らないぞ。「本土」のメディアは、適当なことを言い書きしていて、報道すらしないことも多いが、恥を知るべきだろう。だいたい、沖縄は太平洋戦争のときに国内で唯一(千島をオミットすればだが)地上戦があり、多くの民間人すらが死んでいるのに、こういう仕打ちをするのが国の態度なのか。実際、沖縄県民の意識は、最近になって大きく変ってきている。そのことを知らない「本土人」は、無知と言うべきである。
 当り前の話だが、米軍の基地負担が必要ならば、「本土」にもそれ相応の負担を課すべきである。例えば自分の住んでいる各務原市には航空自衛隊の基地があるが、米軍のオスプレイ駐留の負担をせよとでも政府は言うべきである。もちろん反対運動が起こるであろうが、その時になってようやく、我々にも沖縄の現実がわかり始めるだろう。そうでもしないと、我々は考えることすらしない。沖縄のことなど、端から意識にないのだから。