池内紀『消えた国 追われた人々』

晴。

NML で音楽を聴く。■モーツァルト弦楽四重奏曲第二十二番 K.589 で、演奏はクレンケ四重奏団(NMLCD)。■ショパンマズルカ op.41(全四曲)で、ピアノはアントニオ・バルボーザ(NMLCD)。


ネットで吉本さんに関する素人の書き物は非常に多い。そして、自分ごときがいうのは何であるが、そのほとんどはどうでもよいというか、むしろ積極的に「害をなす」ものである。害をなす? 何に対していかなる「害をなす」というのか? いずれにせよ、吉本さんが感じていた孤独感を深めるようなものしかないというべきであろう。誰も、わたしに触ってくれないという孤独…。まさにそれは、吉本さんが亡くなったいまでも続いている。そしてこのような惨状を見て、まともな人の多くは吉本さんに触れないのをよしとするのである。わたしは、その気持ちはよくわかる。いまでも、逆説的にいえば、吉本さんは「まったく読まれていない」。かつてあれほど読まれたし、いまでも少なからず読まれているにもかかわらず。さみしいことである。

自分のことは棚に上げて語ってしまったが、これに関してわたしも大したことはない。ただ、あまり下らぬことはいわぬようにしているつもりだ。それだけ。

しかしわたしは思うが、吉本さんは「大衆」をして、自分の幸福を望む寡黙な人々というように捉えておられたのではないだろうか。インターネットが明らかにしたところでは、「大衆」とは他人の不幸を望む、やかましい人々であるというのが事実ではあるまいか。それはもとからそうだったのか、ネットがそうしたのか。さて、わたしもまた「大衆」のひとりであるが、じつはどうもよくわからないのである。インターネットによって可視化された部分がそうなのであるというのが正解なのだろうか。

珈琲工房ひぐち北一色店。図書館から借りてきた、池内紀『消えた国 追われた人々』読了。副題「東プロシアの旅」。意外といっては叱られるかも知れないが、池内さんにしてはずっしりと重い主題の旅行記だった。「東プロイセン」はナチス・ドイツの敗北と共に歴史から消えた国家(の一部)である。本書の通奏低音は「戦争」であろう。「東プロイセン」の崩壊にあたって、1000万人を超える人々が故郷を失った。哲学者カントの街・ケーニヒスベルクから船で脱出しようと多くの人々が乗り込んだグストロフ号(豪華客船であった)は、ソ連の潜水艦による魚雷攻撃により沈没、亡くなった人々の総数は 9000人ともいわれ、これはタイタニック号の沈没を遥かに上回る史上最大の海難事件である。しかし、戦後ドイツは「加害者」と理解されていたから、そのことはタブーになっていた。このエピソードは本書の中で繰り返し出てくる。そのカントの街(700年の歴史をもつ古都であり、美しい大都市だった)は連合国軍による空襲で瓦礫となって消滅し、いまでは往時を偲ばせるものはほとんど残っていない。本書の中でわずかに輝いて見えるのは、誰もがきらめくように美しいポーランド、ロシア、ラトヴィアの女の子たちだけであろうか。つい、池内おじいさんは目を細めて眺めているのだ。どうして彼女らが大人になると、これまたことごとく…になってしまうのかと訝しみながら。花の季節は、短いのである。

消えた国 追われた人々――東プロシアの旅

消えた国 追われた人々――東プロシアの旅

 

ドラッグストアまで散歩。
20190614023614
 
早寝。