森誠一『トゲウオのいる川』

曇。
森誠一『トゲウオのいる川』読了。何の予備知識もなしに読んだが、敢て名著だと云っていいだろう。著者はトゲウオ類の研究者であり、ハリヨやイトヨが絶滅に瀕していることもあって、自然保護という側面からの活動も積極的になされてきたようである。本書は、今風に云うなら「アツい」本だ。理の通らないことについては、はっきりとズバズバものを言っている。それがまず自分には爽快だ。
 自分は恥ずかしながらまったく知らなかったのだが、本書で詳しく語られるハリヨは、現在では滋賀県の一部と岐阜県の西濃地方にしか生息していないらしい。本書では特に岐阜の話が多いのだが、岐阜県人には恥ずかしい話が多くある。ハリヨを滅ぼして造った橋が「ハリヨ橋」と名付けられ、ハリヨの絵(それも御丁寧に、科学的に誤った)が描いてあるプレートが、橋に取り付けられているとか。役所に行ったら、胸ぐらを掴まれて外へ出されたとか(左翼の活動家とでも間違えられたのであろう)。一方で、誇らしい人たちも居て、積極的に保護活動に取り組んでおられ、西濃には「はりんこネットワーク」などというのまで存在するそうである。
 本書を読むと、自然保護ということについても、考えさせられる。自分などはひねくれているので、現在「正義」である自然保護というものには、素直に諸手を挙げて賛成とは行きかねる。しかし本書を読んでいると、まだまだそれは口先だけの「正義」であることが多く、相手がそれでは、ひねくれてみせるわけにもいかない。だいたい、著者は研究者として自然保護に尽力されているが、必ずしも本当に自然保護のために動く研究者ばかりではないだろう*1。著者のような人は、むしろ例外なのではないか。自然保護は、まず住民の手でなされるべきであり、それに行政と研究者が協力するという風にしないと、結局は上手くいかないだろう。これは著者がはっきり言っていることである。あとは、住民の「民度」。自分などには、この民度が足りないだろう。なかなか、自然保護に立ち上がるとか、出来そうにもない。しかしまあ、事実くらいは知っておきたいものである。
 なお、著者は単に魚の研究者というだけではない。生態系や河川の形態などの観点からも研究されていることは、本書からもはっきりとわかる。また、著者は決して治水工事に一切反対などという立場を取っている方ではない。それが気に入らないという純粋主義者も居るかも知れないが、自分などは、それだからこそ著者が信用できると考える。
 何だか取り留めもないことばかり書いたが、誰が読んでもきっと損にはならない。優れた学者が何を考えるか、そういう本として読んでもいいと思う。決して読みにくくはないし、著者の熱意は読者を動かすかも知れない。中公新書らしい、価値の高い新書本であろう。

トゲウオのいる川―淡水の生態系を守る (中公新書)

トゲウオのいる川―淡水の生態系を守る (中公新書)


あんまり堕落してばかりいてもいけないね。苦心して何とか光が見えないか。

*1:例えば岐阜には「長良川河口堰問題」というのがあって、建設にゴーサインを出した岐阜大学の御用学者は、岐阜では有名である。それは別に岐阜だけの話ではなくて、日本中に御用学者は蔓延しているであろう。