永山薫『増補 エロマンガ・スタディーズ』/ローレンス・M・プリンチペ『科学革命』

早朝、曇。晴。
音楽を聴く。■モーツァルトバスーン協奏曲K.191(トン・コープマンアムステルダム・バロック管弦楽団参照)。佳演。あまり聴いたことのない曲だが、さすがにモーツァルトだな。古楽器での演奏なので、やはりバスーンは大変そう。■メンデルスゾーン:チェロ・ソナタ第一番op.45(ポール・トルトゥリエ、マリア・デ・ラ・ポー、参照)。佳曲。もっと聴かれていい曲だろう。演奏はいい。ピアノのマリア・デ・ラ・ポーは、トルトゥリエの長女らしい。■ヒンデミット:室内音楽第三番op.36-2(シャイー、参照)。

永山薫『増補 エロマンガ・スタディーズ』読了。いやあ、おもしろかった。エロマンガというジャンルは、まったく底なしで一般人には見通すことなど不可能である。本書の作った「見取図」は、自分には正確には判断できないものの、貴重なものなのではないか。本書のスタンスは、著者がエロマンガを肯定的に享受しつつ、徹底的に理論武装するというものだ。対象への楽しそうな(?)記述に隠れてはいるが、知的に見てもとてもレヴェルが高く、自分などの遠く及ばないところだと告白しておこう。また、至るところでユーモアが炸裂し、読んでいて思わず笑ってしまう。こういうところからも、本書のレヴェルの高さが窺えるだろう。
 しかし、本書を読んで痛感するのは、エロマンガという世界において、男性の欲望形態はほぼ完全に網羅され、カタルシスを体験させているということだ。これでは、男性の欲望は、メディアの中で容易にかつ徹底的に「ガス抜き」されてしまうであろう。だから、近頃のいわゆる「草食系男子」なるものは、必然的に登場してきたように見える。エロマンガの「有害図書指定」も、表現の自由その他の理由で肯定できないものの、エロマンガを日陰に追いやることで、欲望の内圧を高める効果はあるのかも知れない。自分はやっぱり、「性」というものはある程度秘められた、非日常的な(?)、「夜の世界」のものであった方がいいような気がしてならないのだ。しかし、本書のような優秀な本を読むと、どうも気持ちは揺らいでくるようでもある。

図書館から借りてきた、ローレンス・M・プリンチペ『科学革命』読了。コンパクトに纏まっている。必要なことはだいたい網羅されている印象。より詳細を知るためには、山本義隆氏の三部作を参照するとよいだろう。
科学革命 (サイエンス・パレット)

科学革命 (サイエンス・パレット)

Linux の簡単なシェルスクリプトを書いてみる。ここなどを参考にした。

安倍首相は「頑張った人が報われる社会を」と言ったが、僕個人としては、「頑張らない人でもそこそこ生きていける社会」の方がいいと思っている。まあ、賛成してくれる人は少なそうだけれど。でも、世の中は「頑張れる」人ばかりではないでしょう。「カス」が生きて行けない社会は、よくない社会だと勝手に思っている。我々「カス」だって、生きていっていいのではないか。もちろん、頑張った人はそれはそれでエラいことは認めるし、そういう人には成功して欲しいと思う。でも、頑張っても運が悪いとか、そういうこともあって転落しないとは云えないでしょう。何、そういうことを言っていると、日本が没落するって? 「カス」の面倒を見るのはまっぴら御免? それは困ったなあ。でも、「カス」を切り捨てたら、日本は上手く行くの? もしそうなら、何も云えないが。