浦雅春『チェーホフ』

晴。
音楽を聴く。■バッハ:トリオ・ソナタ ホ短調BWV528、イ短調BWV526、イ長調BWV529、変ホ長調BWV525(キングス・コンソート、参照)。朝、起きがけに聴くのにぴったり。これは愛聴できそうなディスクだ。

浦雅春チェーホフ』読了。このところプログラミング脳になっているので、文学はどうかと思ったのだが、読み出したら惹き込まれて一気呵成だった。優れた作家論からこのところ遠ざかっていたので、著者の鋭い読みを堪能した。例えばチェーホフの小説のあの救いのなさから、著者はチェーホフの心のアパシー状態、情熱のなさ、デタッチメントを指摘する。これはチェーホフに独創性を齎したが、一種の病気のようなものであり、実際にチェーホフはそれを扱いかねていたことを、説得力をもって描き出している。謎のサハリン行きも、背後にはその問題があるのであって、その動機は内的・私的なものであり、もしかしたらチェーホフ自身もそれを明確化できなかったのかも知れない。とにかくチェーホフは、「自分の考え」というものをまず表に出さないのだ。そして本書を読むにつれ感じるのは、チェーホフはその「秘密」を、歳を重ねるにつれて少しずつ、作品の中に出していっていることである。それがあの傑作揃いの戯曲群ではないか。もういちどチェーホフの戯曲を読んでみたくなったことである。また、晩年のチェーホフの文学は、期せずして「映画的」になっているとは、著者の慧眼だ。原文はむしろ無味乾燥なほど切り詰められていて、映画のシーンを思わせるというのである。それだから、形式的にも戯曲向きになるわけだ。
 以上は本書の紹介としてあまりよくないので、是非実際に本書を堪能されたい。チェーホフがじっくりと読み込まれていて、構造もディテールも自然な感じで捉えられている。本書のおかげで、チェーホフに限らず、もう少し文学に触れてみたい気分になった。

チェーホフ (岩波新書)

チェーホフ (岩波新書)

母のプリンタが壊れたので新しく買ったのだが、今のプリンタは進歩していますね。Wi-Fi 接続できるので、二階の僕の部屋の PC から、下にあるプリンタで簡単に印刷できる。これは便利だなあ。また、iPad からもじつに呆気なく印刷できてしまう。何だかマンガとかアニメの世界が段々現実化してくるよう。