古川薫『松下村塾』

日曜日。晴。
音楽を聴く。■バッハ:トリオ・ソナタ ニ短調BWV527、ト長調BWV530(キングス・コンソート)。古楽器による、何ともチャーミングな演奏。これは当たり。原曲はオルガン曲で、さらにその前の室内楽版を復元したものらしいが、じつに上手く編曲してある。

Bach;Trio Sonatas Arr.King

Bach;Trio Sonatas Arr.King

ベートーヴェン弦楽四重奏曲第四番op.18-4(ジュリアードSQ)。
休日早朝出勤。

古川薫『松下村塾』読了(電子書籍版)。読み終えるまで気づかなかったのだが、著者は直木賞作家だということである。まったく無知でした。幕末を題材に採った小説をかなり書いておられるようで、本書はその関係であろうが、決して想像を縦にしたフィクションではない。むしろ、歴史書のような学術性すら感じられるものである。ただ、小説家と関係するのかはわからないが、著者が吉田松陰を深くリスペクトしているのはすぐにわかる。そして、吉田松陰という人は、それに値する人物なのだということも、またよくわかった。確かに「狂」の人という面はあり、松陰自らがそう述べているくらいで、刑死の原因はそこにもあろう。だが、至誠の人でもあり、そうでなくては、たった一年間ほど続いたに過ぎない松下村塾から、あれだけの人材が出る筈もあるまい。また弟子たちは、松陰の刑死に対する態度の立派さから、学び奮い立たされたところも多かったようである。そのためもあるか、幕末の志士の中でも、松下村塾の出身者は、時代にコミットしつつ早く亡くなった人物が多い。
 松下村塾と松陰の方針は、学問はきっちり修めるのだが(例えば漢文における文法の重視)、もちろん精神的倫理的態度の涵養も重要であった。ただし後者は、松陰の人柄が教育したところも大きかったろう。どこにいても他人を感化してしまうのが松陰の人柄だった。ファナティシズムと穏やかな礼節が入り混じった至誠の人だという印象を受けるのである。そして「情報」にも敏感であり、米国船に乗り込んでアメリカへ渡ろうという「暴挙」も、西洋をよく知らねばならないという態度の現れなのであった。なお、松陰の容貌は穏やかなものだったようで、一般に流布している、偏奇な印象を受ける松陰の肖像は、どうやらちがう人のものであるらしい(塾生の回顧による)。
 個人的なことを云えば、自分は松陰も松下村塾もそれほど重要視していなかったのだけれども、維新への貢献もさることながら、吉田松陰という人が身近になっただけでも、本書を読んだ意味はあったと思う。ここにも、立派な人がいたわけだ。なかなかこんな生き方はむずかしい。
松下村塾 (講談社学術文庫)

松下村塾 (講談社学術文庫)

↑何故か Kindle 版がうまく表示されないので、文庫本の方を貼り付けておく。

下のサイトを仕事の合間に読んでいる。おもしろい。Perl の初心者には役に立つと思います。
Perl入門ゼミ
Web::Scraper モジュールは本当に便利。process 関数はネストしても使える。