大澤壽人の室内楽/小川洋子『薬指の標本』/西村賢太『暗渠の宿』

2013年春_12晴。いい天気。
うどん「恵那」にて昼食。ざる蕎麦820円。少々高いが、割とおいしくて量もある。ここの店は父が好きなので、よく行くのだ。いつも混んでいる。
音楽を聴く。■モーツァルト弦楽四重奏曲第十五番、第十六番、第十八番(ジュリアードSQ)。第十六番と第十八番は普段ほとんど聴かない曲だが、聴いてみるとなかなか悪くない。第十六番の第二楽章などは、いい曲ではないか。第十八番は最初モーツァルトにしては底が浅いようにも感じたが、聴いているうちに面白くなってきた。しかし、こちらが苦労して感性を広げても、モーツァルトはあっさり先で既に完成されているな。当り前だが、さすがだ。ジュリアードSQは、簡潔で引き締まった、キビキビした演奏。

THE JUILLIARD QUARTET PLA

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大澤壽人の室内楽を聴く。曲はピアノ五重奏曲(1933)とピアノ三重奏曲(1931)で、演奏は藤井由美のピアノに、マイ・ハート弦楽四重奏団。大澤壽人の音楽は、最初、ナクソス・レーベルの「日本作曲家選輯」で聴いて驚いたのだった。本ディスクの室内楽二曲も、共にとてもモダンで新鮮であり、近代フランス音楽の香りもして、聴き応え充分である。作曲家はマイナー・ポエットではあるが、到底無視できるような存在ではない。最近になるまで忘れられていたとは、ちょっと信じられないような気がする。この作曲家の音楽は、もっと聴いてみたい。また、精力的に近代日本のクラシック音楽を発掘されている、片山杜秀氏のライナーノーツは必読。
大澤壽人の室内楽

大澤壽人の室内楽


小川洋子薬指の標本』読了。短篇集。表題作が不気味だ。何でも標本にする「標本技術士」は、主人公の女性まで標本にしてしまうのだろうか。そこはわからないようになっている。これは静謐な幻想小説であり、具体的な描写はほとんどないのに、エロスを喚起するように書かれている。小道具は「靴」だ。標本技術士が彼女のために誂えた、完璧な靴。フェティシズムのためのオブジェだ。
 併録された「六角形の小部屋」は、「語り小部屋」という、一種の無人の告解所を考えたのは面白いが、それが充分に展開され切っていないようにも思われる。いずれにせよ、著者の小説は質が高く、そして読ませる力もある。翻訳も多数あるそうで、それも当然であろう。
薬指の標本 (新潮文庫)

薬指の標本 (新潮文庫)

西村賢太『暗渠の宿』読了。西村賢太は初めて読む。これまで文庫化されたものを何冊か持っているのだが、なかなか読めなかった。自分は小説を読むのが一番緊張(?)する。自分を大きく変えてしまうものがあるとすれば、それは小説ではないかという気が抜けないからである。で、本書であるが、世評から予想していた以上に凄かった。凄いというのは、緊張感のある文章を読んでいるうち、ところどころで笑ってしまうのだ。これは現代では他に、町田康に覚えるくらいである。で、面白い。また、自分とほぼ同世代というのも嬉しい。他は自分も含め、ふやけた奴ばっかりだからね。他の作品も俄然読むのが楽しみになってきた。
暗渠の宿 (新潮文庫)

暗渠の宿 (新潮文庫)


原則的に、「寛容」は大切なことであり、進んで擁護されねばならぬとも思う。しかし、「寛容」には難問がある。渡辺一夫の「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」という命題だ。理想的には「否」だが、じつはこれに一律な答えはないと思う。我々は誰も自分がかわいいし、人間はかしこいと共に愚かだからだ。決断を迫られるべきところで適切な対応が出来るために、我々は自らを鍛えるわけであるが、現実には、その場に立ってみないと何とも云えないだろう。例えばニュースなどを見ていても、色々容易なことではないと日々感じる。結局、判断が正しかったのかどうかは、事後的にしか決まらないだろう。例えば、撃たなければ撃たれるという状況で、撃たないということは可能だろうか?
狂気について―渡辺一夫評論選 (岩波文庫)

狂気について―渡辺一夫評論選 (岩波文庫)