曇。
部屋の壁に手をついて、建物全体を振動させる夢を見た。めっちゃアニメっぽいな。
昼。晴。
NML で音楽を聴く。■バッハの管弦楽組曲第三番 BWV1068 で、指揮はジョン・エリオット・ガーディナー、イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(NML、CD)。これを聴いていると、何となくムジカ・アンティクヮ・ケルンを思い出したり。しかしわたしがこの曲を指揮するなら(というのはまったく無意味な仮定だが)、古楽器オーケストラではなくモダン・オーケストラで、もっと弦のふくよかでレガートを多用する、つまりは古くさい演奏を選択するかも知れない、という気もする。■モーツァルトの弦楽四重奏曲第十七番 K.458 で、演奏はズスケ・クァルテット(NML)。溌溂とした、申し分のない演奏。このよく知った曲が、あらためていい曲だなーって感じられる。
■ドビュッシーの十二の練習曲で、ピアノは内田光子(NML)。ギーゼキングの演奏が意外なことにいまひとつだったので、いろいろ聴き比べて探してみたところ、この内田光子の演奏が飛び抜けていた。相当にむずかしい曲だそうで、たいていの演奏はむずかしいところに差しかかると、どうしても正確に弾くことに意識がいってしまう。内田光子のように、むずかしさを感じさせずに一貫したトーンで弾き切っている、超絶技巧の演奏は、(わたしが聴き比べた中では)他にひとつもなかったといってよい。まさに鳥肌が立つようなそれだった。名演中の名演であり、内田光子の最高傑作といってもいいのではないか。しかし、これはわたしは CD をもっていて何度も聴いた録音なのだが、あまりよくわからずに聴いてきたようだ。この「十二の練習曲」は前半(+第12曲)と後半にはっきりと分かれているわけだが、この演奏で聴くと、前半(+第12曲)の方が曲としてラディカルなのではないかと(素人なりに)思われる。後半がつまらないとかいうのではもちろんなく、ドビュッシーのこれまでの、例えば前奏曲集などから、予想できる音楽だが、前半(+第12曲)はいわゆる現代音楽に、かなり近くなっているようだ。
図書館から借りてきた、西村賢太『誰もいない文学館』読了。ほんとおもしろかった。西村賢太についてわたしごときのいえることはないが、これが文学だというなら、わたしは文学が好きだ。むなしい人生も、ここまで煩悩のままに反吐して生きる姿を見ると、逆になかなか楽しくなってくる。一抹の涼風すら感じるくらいだ。我々のスカした人生も、これと変わることなし。西村賢太はそれほど読んでいないけれど、文庫本をいくつか架蔵している筈だから、未読の小説をそのうち読もう。
夜。
オウィディウス『変身物語2』(京都大学学術出版会)を読み始める。
早寝。