西村賢太『誰もいない文学館』

曇。
部屋の壁に手をついて、建物全体を振動させる夢を見た。めっちゃアニメっぽいな。
 
昼。晴。
NML で音楽を聴く。■バッハの管弦楽組曲第三番 BWV1068 で、指揮はジョン・エリオット・ガーディナー、イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(NMLCD)。これを聴いていると、何となくムジカ・アンティクヮ・ケルンを思い出したり。しかしわたしがこの曲を指揮するなら(というのはまったく無意味な仮定だが)、古楽器オーケストラではなくモダン・オーケストラで、もっと弦のふくよかでレガートを多用する、つまりは古くさい演奏を選択するかも知れない、という気もする。■モーツァルト弦楽四重奏曲第十七番 K.458 で、演奏はズスケ・クァルテット(NML)。溌溂とした、申し分のない演奏。このよく知った曲が、あらためていい曲だなーって感じられる。

ガリーナ・イワーノヴナ・ウストヴォリスカヤ(1919-2006)のヴァイオリン・ソナタで、ヴァイオリンはパトリツィア・コパチンスカヤ、ピアノはマルクス・ヒンターホイザー(NML)。ガリーナ・イワーノヴナ・ウストヴォリスカヤのクラリネット三重奏曲で、クラリネットはレート・ビエリ、ヴァイオリンはパトリツィア・コパチンスカヤ、ピアノはマルクス・ヒンターホイザー(NML)。■ウェーベルンのロンドで、演奏はパリジー四重奏団(NMLCD)。■ピエール=ローラン・エマールのピアノで「フーガの技法」を何曲か聴いてみたのだが(NML)、とても聴けなくて断念した。このピアニスト、音が乾いていて正確にコントロールされていて、現代曲はいいのだがな。音の塊としては見事だが、閉じていて、音が無意識の方まで広がっていかない。あるいは、感情がバッハまで到達していない、といってもいいかも知れない。
 
ドビュッシーの十二の練習曲で、ピアノは内田光子NML)。ギーゼキングの演奏が意外なことにいまひとつだったので、いろいろ聴き比べて探してみたところ、この内田光子の演奏が飛び抜けていた。相当にむずかしい曲だそうで、たいていの演奏はむずかしいところに差しかかると、どうしても正確に弾くことに意識がいってしまう。内田光子のように、むずかしさを感じさせずに一貫したトーンで弾き切っている、超絶技巧の演奏は、(わたしが聴き比べた中では)他にひとつもなかったといってよい。まさに鳥肌が立つようなそれだった。名演中の名演であり、内田光子の最高傑作といってもいいのではないか。しかし、これはわたしは CD をもっていて何度も聴いた録音なのだが、あまりよくわからずに聴いてきたようだ。この「十二の練習曲」は前半(+第12曲)と後半にはっきりと分かれているわけだが、この演奏で聴くと、前半(+第12曲)の方が曲としてラディカルなのではないかと(素人なりに)思われる。後半がつまらないとかいうのではもちろんなく、ドビュッシーのこれまでの、例えば前奏曲集などから、予想できる音楽だが、前半(+第12曲)はいわゆる現代音楽に、かなり近くなっているようだ。
ドビュッシー:12の練習曲

ドビュッシー:12の練習曲

  • アーティスト:内田光子
  • ユニバーサル ミュージック クラシック
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図書館から借りてきた、西村賢太『誰もいない文学館』読了。ほんとおもしろかった。西村賢太についてわたしごときのいえることはないが、これが文学だというなら、わたしは文学が好きだ。むなしい人生も、ここまで煩悩のままに反吐して生きる姿を見ると、逆になかなか楽しくなってくる。一抹の涼風すら感じるくらいだ。我々のスカした人生も、これと変わることなし。西村賢太はそれほど読んでいないけれど、文庫本をいくつか架蔵している筈だから、未読の小説をそのうち読もう。 
夜。
オウィディウス『変身物語2』(京都大学学術出版会)を読み始める。
 
早寝。