「ゼノンのパラドックス」を数学的に考えてみた

いわゆる「ゼノンのパラドックス」の出どころを、自分は知らない。とりあえず、こういうものだとする。すなわち、「アキレスは亀より足が速い。そのとき、亀がアキレスより前にいて、彼らは同時に出発したとする。アキレスは一旦、亀が最初にいたところに到達するが、亀はそのとき、アキレスより少し前にいる。またアキレスは亀がいたところに到達するが、また亀も少し進んでいる。こうして、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけない。」
 ここには少し曖昧なところがある。アキレスと亀は、それぞれ一定の速さで運動しているか、ということである。ここでは、アキレスも亀も、常識的に、等速運動をしているとする(加速・減速しない)。アキレスと亀は数直線上を正の方向に移動し、速さはそれぞれ1と1/2であるとする。時間が0のとき、アキレスの位置は0、亀の位置は1だとする。
 時間1のとき、アキレスの位置は1になるので、亀の位置は3/2になる。次にアキレスが亀の位置に到達するのは、時間1+1/2=3/2のときなので、その間に亀は3/2+1/4=7/4の位置に到達する。
 これを繰り返し、アキレスの移動がn回目の場合の彼の移動時間は、
    
となるので、この数列は、nが無限大になれば0に収束してしまう。もちろんこれだけでは、級数(数列の和)が収束するかどうかはわからないが、実際に級数は収束し、収束値は2である。(亀の運動も同じように求められる。)結局我々は、アキレスの運動を2秒後(数直線の位置でいえば2)の「直前」で無限に細かく「観察」しているだけで、実際は2の位置で、アキレスは亀をあっさり追い抜いてしまう。
 これからわかるように、アキレスも亀も、その運動にまったく神秘的なところはない。我々の観察の問題なのである。
 もしパラドックスがあるとすれば、どこか。それは、時間を無限分割することに意味はあるか、ということであろう。そのようなことは、常識的に考えれば無意味である。しかし、それを敢て定式化してしまったところに、矛盾が生じたというわけだ。