晴。
大江健三郎『人生の親戚』読了。のっけから幼稚な感想ですが、大江健三郎はエロい! 本作のヒロインであるまり恵は、共に障害者である(ひとりは身体、もうひとりは精神)二人の子供を、彼らの自殺で失ってしまうという、プロットだけからすると本作は陰鬱極まりない小説であるが、実際はそれほど陰惨なだけに終始する小説ではない。まり恵は、死んでもいいが、いま直ぐ死ぬ必要もないと思っているからだ。彼女と若い白人の性交渉は、わずかに彼女を生き延びさせるのか。それはともかく、彼女はアメリカ、次いでメキシコに渡り、セックスを一切断って生きるようになって、周りから聖女のように思われることとなる。そして癌で呆気なく死んでしまうのだが、その前にメキシコの粗野な若者に強姦されていることが後でわかる… うーん、著者は現代の聖女を描こうとし、それに失敗したのか。それともそれは成功しているのか。
解説の河合隼雄氏は、まり恵の傷を「現代人の傷」と呼び、現代人の精神と体の深い分裂の表れとしているが、自分には、本書を己に引きつけて読むことがなかなかできなかった。現代にはこうして苦しむ人がたくさんいることはわかるのだが(自分だって苦しかったことはあるが)、恥ずかしいことに、想像力がそこまで十全に及ばないのだ。だからこそ、文学というものはやはり必要なのであろうけれども。
- 作者: 大江健三郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1994/07/28
- メディア: 文庫
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クリフォード・カーゾンのピアノを聴く。シューマンの幻想曲ハ長調、子供の情景。ブラームスのピアノ協奏曲第一番(1953年)。どれも技術、解釈ともにほぼ完璧だ。最初、カーゾンのピアノには官能性が欠けているかと思ったのだが、多少カーゾンのピアノがわかってくると、そうでもないことに気づく。とてもすばらしい。聴いていると、何故だかポリーニの七〇年代の録音を思い出させるところがあるのは、我ながら不思議。前にも書いたが、もう少し音が輝かしければ、本当にポリーニくらいの人気ピアニストになっていたかも知れない。
あと、録音がせめてステレオ録音だったらなあと思わずにはいられない。ほとんどがモノラル録音なのだ。
それから、カーゾンではないが、こんなのがありましたよ。フィッシャー=ディースカウとポリーニの「冬の旅」だって!
ポリーニの弾くバルトーク「戸外にて」。
シュトックハウゼン。