名古屋市美術館の「ベン・シャーン展」


名古屋市美術館の「ベン・シャーン展」の会期が終りに近づいてきたので、これはもう行かねばならぬということである。天気は晴。ちょうどいい。
 しかし、いきなりバスが一〇分も遅れてくる。一時間に二本まで本数を減らしたのに、いきなりかね。さらに遠回りをするようになったので、結局JR岐阜駅に着いたのは、自宅を出てから五〇分後。いいかげんにせい。岐阜駅から名古屋駅までは二〇分弱なのに。
 名古屋駅に着いたのはお昼前になってしまったので、大名古屋ビルヂング地下のラーメン「ラの壱」で、すぐに昼食。とんこつもと味+餃子+ライス780円。麺は細麺で、豚骨スープはあっさり目。もっと麺にスープが絡みつくようでなければならぬなと、偉そうに思惟する。
 広小路通りを伏見まで歩くことにする。ごちゃごちゃしているが、人通りも多くて、活気があるといえばある。大昔の「名古屋デザイン博」の残骸であろう、一応それっぽいものが歩道あたりに設置してある。誰も見ないだろうが。こんな感じ。配電盤の上にあるのだ。作者・八木麟太郎とかはよく知らない。

傷だらけにされた亀は、これ、怒らないといけないのだろうが、「かめ」って書いてある。つい笑ってしまった。すみません。


 名古屋市美術館は伏見の白川公園にある。「ベン・シャーン展」は一般1100円。ベン・シャーンが見られてこの値段なら、安く感じる。
 ベン・シャーン(1898-1969)はアメリカの画家(Wikipedia)。もともと「社会派」という出発点で、冤罪事件などを絵にしていた。それだけならつまらないが、もちろん絵そのものの魅力があるのだ。技法はグワッシュが主で、細い輪郭線とマンガ的な誇張が特徴、などと説明すればよいのか。誰に影響されているのかなどという系譜は、自分にはよくわからない。画面は暗いのがほとんど。
 しかし、1940年あたりから、単なる「社会派」というレッテルに、本人が飽き足らなくなる。絵としての魅力というものを、もっと追いたくなってくるのだ。ここからが本番といってもいい。ここから、歴史に残る画家の絵に、はっきりとなってくる。陳腐な形容になってしまうが、やはり二十世紀の時代の矛盾というか、そういうものが想像力で表現されるようになる。自分が(勝手に)今回の最高傑作だと思ったのは、「恐怖の夜の町」The City of Dreadful Night (1951)という絵だ(鮮明でないが、右上図)。イライラしてくるような、青地に無数の赤い細い線のノイズ、真ん中の赤い顔は、怒れる神の顔か。
 だが、ベン・シャーンは社会派を捨てたわけではない。1960年には来日し、第五福竜丸の事件に取材している。展覧会の最後は、これから生まれた「ラッキー・ドラゴン」(右図)だった。もちろん「福・竜」ということである。
 図録を買って、常設展示も。名古屋市美術館の所蔵する、すべての北川民次の作品を展示してあったのが見応えがあった。北川民次はもっと観てみたい。
 桜通りを通って、帰りも名駅まで歩く。桜通りはつまらんな。ジュンク堂書店に寄る。山形浩生訳のケインズの文庫本や、物理本三冊などを買って帰宅。JR岐阜駅のミスタードーナツでコーヒー。帰りもバスに泣かされる。もう、岐阜駅まで車にするか。
※下も名古屋にて

 

そういえば、いま街を歩いていると、マスクをしている人がかなり多いね。いつからこうなったのだろう。

グーグルマップのマイマップ作りにハマって夜更かし。ブログの旅行記事とリンクさせたりして遊ぶ。