名古屋市美術館で「ゴッホ展」

晴。暑いくらいの天気だ。
 
名古屋市美術館へ、ひとりで「ゴッホ展」を見に行く。時間予約制なので、10:30の入場開始時間に間に合うよう、九時頃に家を出る。国道22号を使い、高速には乗らない。少し早めに着く。



建物は黒川紀章の代表作ともいう。さて、「ゴッホ展」ということから、予想されたごとく客は多い。さらりと20分くらいで見てきた。ほとんどがクレラー=ミュラー美術館の所蔵品で、今回の展覧会は、コレクターであるヘレーネ・クレラー=ミュラーのきれいな(鑑賞)眼を楽しむためのものといってよい。我々がゴッホの作品といって思い浮かべるものよりは、だいぶ古典的でおとなし目の作品が中心であったと思う。初期のオランダ時代の絵は非常に暗く、このあたりの作品は画集でもあまり見たことがないので、おもしろかった。近代絵画を超えるものではないけれども。印象派に影響を受けたもの(中期?)は、カラフルできれいだが、それほど個性的ではない。
 ここにまとめて、クレラー=ミュラー美術館のゴッホ以外の所蔵品があったのが、今回いちばんおもしろく見た。ヘレーネのきれいな鑑賞眼が、堪能できるところである。印象派点描画(風)の絵のセレクトがいい。ファンタン=ラトゥールの静物画は見つけもの。モンドリアン
 最晩年の「ゴッホらしい」絵は、はなはだ生々しく、迫ってくるものがあるが、またあまりにも生々しすぎるのであり、我々の平凡な日常を超えているところがある。それにしても、生前はほとんど一枚の絵も売れなかったゴッホ! 狂人か聖者のように生き、残した作品が死後もっとも高額で取り引きされる画家となって、ゴッホは本望だったのであろうか。
 
地下の所蔵品展もざっと見てくる。わたしはこの美術館の「眼」とあまり合わないのを感じるが、一連のメキシコ・ルネサンスの絵画はいつもよいと思う。
 
 
美術館のある白川公園の近くを30分ほど散歩。








テキトーにあまり考えずに撮ったのだが、自分で見ても、思ったよりおもしろくない。まあ、30分歩いただけではね。名古屋は、都会としてはどうなのだろうか。(追記。あとから見たら、まあ見られるかな。岐阜のさびれた街も、そのうちに歩きたいと思っている。)
 
 
帰りに、清須のコメダ珈琲店春日店にて昼食。ミックストースト+ブレンドコーヒー1040円。ミックストーストは食べにくいくらい卵が大量に挟んであるのが、コメダらしく過剰でうれしい。手が卵でベタベタになる。近所のコメダだと、苦情が出たのか、盛りが少ないのだよね。
 白洲さんの『明恵上人』の続きを少し読んで、感銘を受ける。30を過ぎた明恵さんが、こんなのでは覚束ない、わたしなんかはダメだ、死んでしまおうかと思うが、死ぬのもこわいという危機に陥るときがあったのだな。明恵さんでも、そんなことがあったのか。我々からは遥かに高いレヴェルの話であるにせよ。
 
名古屋江南線を北へ。途中、BOOKOFF江南赤童子店に寄る。110円文庫本で奥泉光の『雪の階(きざはし)』(上下巻)とカズオ・イシグロを買う。ポイントも使ったので、183円というお値段でした。ラノベのコーナーを見て、アニメの原作で(買う気はないが)だいぶ見当がつくようになったのを実感する。
 
あとはいつもの道で帰宅。新境川堤の桜吹雪がきれいでした。