『荘子 第四冊』/藤沢周『愛人』/神林長平『アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風』

雨。
荘子 第四冊』読了。完結。

荘子 第4冊 雑篇 (岩波文庫 青 206-4)

荘子 第4冊 雑篇 (岩波文庫 青 206-4)

藤沢周『愛人』読了。自分とはまったく違うけれど、藤沢周は結構好きなのだ。この退廃の感覚は、たぶん作り物でない。
愛人 (集英社文庫)

愛人 (集英社文庫)

神林長平『アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風』読了。シリーズ第三作。凄まじい大傑作。五時間ほどかけて一気に読了した。神林長平は中高生の頃から愛読していたが、最近は文庫化されたものでも、買っても何となく積ん読していた。しかし、神林健在である。俺って結局、こういう好みが刷り込まれているのだなと痛感した。嘗て読んでいた頃、神林長平を母国語で読める幸せというものを感じていたが、なんだ、今でも変らないではないか。負けて(?)嬉しい、というような感じである。ああ、大興奮だが、いい加減寝ないと。あ、そうそう、この「戦闘妖精・雪風」のシリーズ、まだ続きそうで、それも嬉しい。この機会に、久しぶりにもっとSFを読むかな。
※注意 初めて「雪風」のシリーズを読まれる方は、決して本作から読まないように。いきなり読んでも、訳がわからない筈です。

「意識とは言語である、か。単純にして明快な見解だ。明快だが単純に過ぎる、とも言える。きみは、では、無意識な自分というのは存在すると思うかね? この問いの意味はわかるかな――」
「自分自身を意識できないのなら<自分>というのはあるのかないのか、ということでしょう」
「そう、どうなんだ?」
「それこそ、<自分>という言葉の上でしか<自分>というのは存在しないのだから、<無意識な自分>などというのは<丸い三角>と同じくナンセンス、言葉の上の遊びに過ぎない」
「無意識の思考や意思というのは<自分>ではない、というきみの考えはわかった。ではそれは、なんだと思う。たとえば暗黙知などと言われるようなものは? <自分>が考えているのではないのだとしたら、ではだれが考えているんだね」
「テストですか、大佐。そのような問いはナンセンスだと、ぼくはそう言っている。<自分>でも<だれ>でもないんですよ。だれかが考えているのではない、その思考は、自動機械の作動と同じ、エネルギーの流れに過ぎないでしょう。そのどこにも<自分>などというものは存在しない」
「では<自己>はどこに発生するんだね」
「だから、言語上に、ですよ」
「脳の言語野に発生する、ということか」
「そんなのは知りません、脳なんかなくても言葉さえ存在すればそこに自己が発生する。理屈上、原理的には、そうなる」

アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風 (ハヤカワ文庫JA)

アンブロークンアロー 戦闘妖精・雪風 (ハヤカワ文庫JA)


井筒俊彦『Language and Magic』落手。