こともなし

forget me not

雨。
調子がいまひとつで、ガイウス・ユリウス・カエサルの高密度な文章が頭に入ってこない。日本語訳は大家のものだが、あまり上手い文章だとは云えないけれど、淡々と訳されている中、それでも戦闘場面など迫力だ。それにしてもカエサルは、マッシリアの攻防戦やクリオの死など、文飾を排しつつ、見てきたかのごとく書いている。また、自分のことを三人称で書いているのは有名な話だ。憾むらくは、ラテン語の簡潔さが日本語に移しえないことだ。漢文脈の、鴎外による擬古文をもってするなら、どうであろうか。いずれにせよ、今の日本の文章家では殆ど不可能であろう。

ここ数日、頭の中でシューマンの第一ピアノ・ソナタが鳴っている。とりわけ第一楽章。ピアノなど弾けないのに、恰も弾けるかのように頭の中で鳴らしている。もうさほど若くもないのに、なぜこれほど、未だロマン派が好ましいのか。ロマン派といっても、ブラームスのシンフォニーなどは駄目であって、カラヤンの白痴的に美しい演奏によってでもなければ、聴くに堪えない。やはりシューマンダヴィッド同盟舞曲集や、幻想小曲集op.12なども、よく頭の中で弾く。それから、ブラームスの定番だが、グレン・グールドの弾くintermezzoとか。これは、グールドを反芻する。op.119-1など、なんとも云えない痛みのようなものを覚える。